ハバナ編

「ごめ~ん!遅くなって・・・・・」

珍しく申し訳なさそうにやってくる恋人を、ビーチパラソルの影から息をのんで見つめる。
片手で300Pの本を開きながら。
直前までグローバルマーケティングについて埋め尽くされていたはずの脳が、一瞬でしなやかな身体の制止画に塗り替えられ、不意に眩暈を感じた。

『なんて綺麗になったんだ・・・・・おまえは。』南の太陽は彼女の為にこそある、と勘違いするほど、その鮮烈な印象は心を鷲掴む。
毎日、ほぼ毎日のように見ている身体が、自然の光と風、そして青い海に晒されているだけで、僕の明確な欲情を促し、小難しい話など頭から全て消え去っていく。
そういえば彼女を意識し始めた時も、その景色は海だったな、と思い出す。

あの頃と違い、大きく膨らんだ胸は彼女の身体に女らしさを与えた。
もちろんその原因はこの僕であることに違いない。
どれほど忙しくても悠理を貪り、女性ホルモンをしっかりと刺激してきた僕の大いなる功績だ。

結局、ここハバナを訪れる為の時間が取れたのは3ヶ月後。
ブツブツと文句を言う悠理を宥め賺し、なんとか一週間の予定をあけることが出来た。
今後が怖いけれど仕方ない。
妻の機嫌を損なう方がもっと怖い。

「何かあったんですか?」

高鳴る胸を押さえながら尋ねる。

「へへ・・・なんかさ、その辺でボンゴ(楽器)叩いてたおっちゃんに呼び止められて、ビール奢ってもらったんだ。」

「ほう・・・・夫を待たせた上、呑気にナンパされていたということですか。」

「ち、違うって!おっちゃん、もう60近いんだぞ?んなわけないない。」

50だろうが60だろうが男は男だ。
悠理の浅はかさは充分理解しているつもりだが、アメリカに渡ってからというもの、それに拍車がかかったように思う。
開放感がそうさせるのだろうか。
かといってあまり小言を言い続けると機嫌が悪くなるのは明らか。
それは非常に勿体ない。
僕はこの一週間、青い海と空に溶け込みながら、のんびり妻を愛でると決めているのだから。

「まあ、良いでしょう。ほら座って。」

「え?泳がないの?」

「今日着いたばかりなんだ。まずは二人で昼寝を決め込むのも悪くないでしょう?海は逃げませんよ。」

「え~・・・・・」

ここは宿泊しているリゾートホテルのプライベートビーチ。
先ほどから何組かのカップルが行き来しているが、皆あまり長居はしない。
カヌー体験や海を眺めながらのマッサージに興味が奪われているのだろう。
美しい海はどこまでも続く。
それこそ飽きるほど長く、遠くまで・・・・

「こんな綺麗な海があんのに、勿体ないよぉ。」

「夕暮れ時にはさらに美しいと聞きます。それまでシエスタ、シエスタ。」

僕は木製のラウンジャーにゴロンと横たわり、後頭部に両腕を組んだ。
波の音だけがBGMという快適さ。
普段から寝不足気味である為、微睡みはすぐにやってくる。
しかし妻は退屈が何よりの苦手。
僕の眠りを妨げるべく、無遠慮に声をかける。

「そういえばさ・・・・」

「ん?」

「さっきおっちゃんから’チニータ!’って声かけられたけど、あれってどういう意味?」

「ああ、’中国人’という意味ですよ。」

「ええ?あたい中国人に見えちゃう?めちゃくちゃ日本人顔だと思ってた。」

「いえ、そういう意味ではないんです。ここキューバには多くの中国人が移民してきましたからね。アジア人・・・特に、黄色人種である僕たちは一括りに’チニータ’と呼ばれることが多いんですよ。親しみを込めて、ね。」

「へえ!さっすが物知りだな。」

ラウンジャーから起き上がった彼女は感心した様子で、目を瞑ったままの僕を見つめている。
その心地良い視線にしばらく沈黙していると・・・・

チュ

ん?

柔らかな唇が頬に押し当てられ、思わず目を開いてしまった。

「なぁ、清四郎。」

「はい。」

「ここで、イチャイチャしてたらヤバいかな?」

『イチャイチャ、の度合いによるでしょうな。』
と言う間もなく、彼女は僕に覆い被さってくる。
いくらビーチパラソルの下とはいえ、これはさすがに大胆すぎる行動だ。

「おまえ・・・・・今日はすっごくリラックスしてて・・・・なんかイイ。」

その言葉の裏を返せば、普段は余裕がなく神経質そうに見えているということ。
なるほど、それも彼女の不満の一つだったのか、と反省させられる。

「すごく好き・・・・・」

ああ、神様。
これは何というご褒美なんでしょう。
青い空、白い雲、爽やかな潮風に透明度の高い海。
そして何よりも美しい水着姿の悠理。

そんな彼女の深い胸の谷間がどんどんと近付いてくる。

視線は当然釘付け。
いつの間にやら溜まった唾液を、一気に音を立て飲み下すと、僕は彼女の柔らかな尻を鷲掴みにしながら、唇へのキスを強請った。

「キスなんかしちゃうと、我慢出来なくなるんじゃないの?」

悪戯めいた質問。

「その時はその時です。」

僕は平然と答える。

「ふふ・・・・・・・そんなおまえも大好き。」

照りつける太陽が作る濃厚な影の中、僕たちはシエスタを忘れ、一つになったまま甘い快楽を追い続けた。