「悠理ちゃん!やっぱり来たんだ。」
「あったりまえだろ!DJシオンがわざわざ帰国してんだから!」
馴染みのライブハウスにはいつもより大勢の客が詰め掛けていた。
それもそのはず。
前回のDMC(世界大会)で優勝した男がゲストとしてやってくるのだ。
チケットは即日ソールドアウト。
悠理は魅録のツテで何とかその一枚をもぎ取った。
桃川六花とはこのライブハウスで半年前に知り合っただけの関係。加えて言うならば、ここ以外で約束したことはない。
好きな音楽のベクトルが同じ方向を向いているが故、比較的仲は良く、メールのやりとりは頻繁に行っていた。
同い年ということもあり気楽なのだろう。
彼女は悠理にとってディープな話に付き合ってくれる数少ない知人だった。
「来月は横浜の新しく出来た箱で回すんだって。」
「知ってる!’プラットフォーム’だろ?ぜってー行く!」
和気あいあい、二人はその夜をとことん楽しんだ。
人混みを掻き分けようやくハウスから抜け出すと、外には一人、男が佇んでいる。ガードレールに腰掛け、白い息を吐く美しい青年。
「清四郎!?」
「随分と遅かったですね。」
「え、もしかして迎えにきたのか?」
「当然でしょう?」
悠理が駆け寄り抱きつけば、清四郎はホッと安堵したように目を細めた。
二人は交際一か月目の初々しいカップルだ。
互いに無自覚だったが故、周りがせっついて追い立てて、何とか恋人同士に仕立て上げた。
特に悠理は「いや、違うだろ」と思いつつも、清四郎への気持ちを足りない頭で一生懸命考えたら、それはもう恋でしかないと気付いたわけで・・・・今は仲良くステップアップを試みている最中である。
「あんがと。寒かっただろ?」
「大したことありませんよ。何か食べに行きますか?」
強制的とはいえ、恋心に気付かされた男は’恋人とは何たるや’を学び始めた。
美童と可憐のアドバイスを総合し、検討した結果、とにかく恋人の機嫌をとれ、に辿り着く。
清四郎とて、悠理が喜ぶ顔を見るのは好きだ。
泣き顔も悪くはないが、ここはやはり天真爛漫な笑顔が一番。
どうせなら幸せ溢れるカップルに辿り着きたい。
ただでさえトラブルが舞い込んでくる日常なのだ。
まともな恋愛関係を築ける時間は一般人より少ないだろうと予想する。
清四郎は少々焦っていた。
悠理との関係をより強固にするためには、自分が積極的に動かなくてはならない。
恋の何たるかも知らぬ初心者同士だからして、一度歪が出来れば修復するのに時間がかかるような気がするのだ。
「ん~、タコス食べたいかも。」
そんな希望を叶えるため、清四郎はサクッとメキシコ料理の名店を探し当てた。
「さっすがせいしろちゃん!仕事が早いね。」
調子の良い反応だが、むしろ彼女らしい。
「さ、タクシーを拾いますよ。」
二人は運良く一台の車を止めると、光り輝く繁華街の中、消えていった。
「悠理ちゃん!」
「え!?六花?どうしたんだよ、こんなとこで。」
高等部を卒業するにあたって、一通りの試験がある。大学部への進学に応じた全教科の試験だ。
赤点まみれの悠理はそれに臨むべく奮闘しなくてはならないが、当然のように勉強が嫌いなわけで──頭を抱える教師たちにより、毎日のように特別な補習授業が行われていた。
いつもは個人家庭教師を務める清四郎も、生徒会の引き継ぎで忙しいため、任せきりである。たとえ点数が足りなかったとしても、その辺は上手く言いくるめる自信があった。
夕方、聖プレジデント学園のロータリーは閑散としていた。
皆はとっくに下校しており、悠理だけが居残りを食らっていたのだから当然ともいえる。
「へへ。ちょっと会いたくなっちゃって。」
真っ赤なマフラーと同じく、真っ赤な頬をした六花。悠理と同い年だが少し幼く見え、ライブハウスでは必ず身分証明書を提示しなくてはならないほど。
見た目はそれなりに可愛く、時々男から声をかけられる。そんなナンパにはしっかりNOと言える強さも持ち合わせていた。長い間、待っていたんだろう。
手袋をした手は、それでもかじかんでいて、悠理は眉を顰める。
「あほぉ……風邪ひくぞ…。メールすりゃあいいのに。」
「そだね。私、馬鹿だ。」
目を潤ませながら無理矢理笑顔を作ろうとする彼女の気持ちが読み取れない。
いつもの雰囲気とは全く違うその風情に、悠理は戸惑いを隠せずにいた。
そこへ………
「悠理?どうしたんです?」
恋人の登場だ。どうやら生徒会の仕事を終えたらしい。寸分の乱れもない、いつもの彼。
そんな清四郎が着る真新しいコートは、クリスマスに悠理が贈ったプレゼントで……それから毎日袖を通してくれている。
お返しにもらったのはとある有名ホテルの食事券(一年分)。
色気より食い気の悠理は心の底から喜んだ。
「清四郎も今帰りなんだ?」
「ええ。少し早めに終わりました。……その方は?」
「ああ、こいつは………」
紹介しようと口を開いた瞬間、六花は清四郎の体に飛びついた。突風のような勢いで。
その俊敏さに驚いたのは悠理だけではない。
あまりにも唐突な出来事に、清四郎も時が止まったように硬直していた。
「お兄ちゃん…!!」
「へ?」
「は?」
六花の行動が全く理解できない二人は、間の抜けた声をあげるしかない。
何が起こったんだ?
しばらく呆然としていた悠理だが、慌てて六花を恋人から引きはがしにかかる。
「ちょ、おまえ、なにしてんだよ!」
涙を拭おうともせず振り向いた六花は直後、真っ赤な顔で悠理に懇願した。
「お願い、悠理ちゃん!この人を一か月…ううん、二週間でいいから貸してほしいの。」
「貸すぅ??」
理解し難い願いに、悠理は困惑する。もちろん清四郎とて同じだ。
「解ってる……この人が悠理ちゃんの大事な人だってことは。」
ようやく目を擦りながら冷静さを取り戻した六花は、深く深呼吸した後、事情を説明し始めた。
話をまとめるとこうだ。
六花は生まれてすぐ養子に出され、今の桃川家の一員となった。
桃川家には既に三人の子供たちがいて、六花は四番目。
唯一の女の子として可愛がられていたらしい。
一番年の離れた兄、紳一郎はことさら彼女を可愛がり、いつしか二人は想い合うように。
………とはいえ相手は兄。
血の繋がりはなくとも、家族であることに相違ない。
心を押し殺し、それ以上の関係には進まなかったけれど、そんな矢先、紳一郎が事故で他界してしまう。
六花の心は呆気なく砕け散った。初恋とともに。
もちろん他の家族も同様だ。
頼りがいのある長兄がいなくなり、その喪失感は桃川家全体を覆い尽くし、未だ以前のような雰囲気には戻っていない。
まるで通夜のような雰囲気のまま……。
六花はそれが辛いのだ。
この前、ライブ会場から帰ろうとした時、視界に入ってきた清四郎は亡き兄によく似ていた。
髪形さえ変えれば瓜二つといっても過言ではない。
思わず声をかけようとしたが、驚くべきことに、隣には悠理が居た。
ひと目でわかる親密な関係。
そこへ割って入ることはさすがに躊躇われた。
しかし────
時が経つにつれ、もう一度会いたい。
会って話がしたい。
出来れば兄のような笑顔を見せてほしい。
そう願うようになった。
更に家族の前に連れていけば、もしかするとみんなが元気になるかもしれない。
浅はかな考えかもしれないが、藁にも縋る思いで六花は思い至ったのだ。
「だからお願い。しばらくの間、悠理ちゃんの彼氏を貸してください。」
「………。」
悠理も清四郎も閉口する。
人助けだと頭で理解していても、心は追いつかない。先ほど、六花が抱きついた男は、間違いなく自分の恋人。あの不愉快過ぎる光景が頭の中をリフレインする。
悠理が混乱している間、清四郎は一通り脳内を整理すると、咳払いをし口を開いた。
「事情はわかりました。貴女の気持ちも理解できますが、それが貴女の家族にとって慰めになるとは思えませんね。余計に傷が深まるだけだ。それに………」
不安そうな悠理へちらっと視線を投げかけた後、彼はこう断言する。
「どんな理由であれ、僕は悠理以外の女性の隣に並ぶことは出来ません。」
優しい言葉を期待していたのだろう。六花の唇は震え、拳が固く握られる。
請うような二つの瞳が悠理を突き刺しても、悠理は何も言えずにいた。
それでもここははっきりさせておこうと、心を決める。
「ごめん、六花。あたいも清四郎を貸したりできない。ほら、あたい馬鹿だからさ……変な誤解しちゃうかもしんないし。それに……おまえのこと嫌いになりたくないんだ……。」
清四郎が自分以外の女に話しかけるだけでも、もやもやするのだ。
特別な感情を抱いている六花の側になど居てほしくない。
恐らくはコントロール不能な嫉妬に苛まれることだろう。
「そっか…そうだよね。ごめん、図々しいお願い事しちゃって……」
「あ、いや………こっちこそごめん。」
肩を落とし去っていくその後ろ姿に胸が痛んだけれど、清四郎が悠理の手を取り、ギュッと握りしめたので、この判断は間違いないのだと確信できた。
「冷えてきましたね。チョコフォンデュの店でも行きますか?」
いつの間にか雪が舞い落ちる。
空はどんよりとした雲に覆われ、いよいよ本降りの様相だ。
「うん!行く!」
恋人を労わる気の利いた誘いに、悠理は満面の笑みで頷いた。
(続く)