続:憂鬱なマーメイド

「やたっ!Bカップ!」

色とりどりの下着が並ぶ売り場の片隅で、
年配のベテラン店員は慣れた手つきで悠理の胸を計測し、にこやかに微笑んだ。

「半年前に比べて3センチアップされましたね。もうBカップの商品を選んで頂けますよ。」

そういって彼女が試着室に並べたブラジャー達は、どれも可愛らしいレースに縁取られた繊細な商品ばかり。

「全て売れ筋ですのよ。特にこちらなんかは…………」

そう指差した彼女の手を止め、悠理はご機嫌な様子で大きく頷いた。

「全部ちょーだい!」

「ぜ、全部………ですか?」

驚くのも無理はない。
上下合わせて二万は下らない商品を、並べた10セット全て購入すると言うのだから。
いくらこの道20年のベテランとはいえ度肝を抜かれる。

「他にもオススメある?あるなら見せて欲しいんだけど。」

フランス製の高級下着を取り扱うこの店で、彼女ほど若いお客は珍しく、接客係、波嶺 律子(ハネ リツコ)は目を瞬かせながら悠理を見つめた。
半年前、初めて訪れた時の彼女を波嶺は今でも思い出す。
不安げに俯いたまま、照れ臭そうに尋ねてきたのだ。

━━━あたいに似合うブラジャー、見繕って欲しいんだ。

まだ大学生らしき彼女が思いきった様子で店を訪れた理由。
それはきっと恋人のためだろう、と波嶺は推し量った。

業界でもトップクラスの高級下着メーカー。
憧れのアンダーウェア特集には必ずピックアップされるほどの有名店である。
お客は富裕層のマダムがほとんどで、中にはキャリアウーマンらしき女性もちらほら居るが、しかし流石に女子大生は珍しい。
波嶺はその美しい顔立ちの少女を一目でインプットし、出来るだけニーズに沿えるよう、心の準備を整えた。

見た目には均整のとれた身体だが、恐る恐る開いた胸は確かに小さい。
彼女にとってもコンプレックスなのだろう。
計測後のサイズを耳にした後、落胆の溜め息を溢した。

「そんなに落ち込まなくてもいいんですよ。私の妹は25の時までAカップでしたけど、結婚してすぐに成長し始め、30に差し掛かる頃にはDカップのブラジャーを着けてました。お客様はまだまだお若いですし、これから期待出来ますわ。」

デザインの性質上、Bカップからのラインナップがほとんどで、その時は残念そうに店を後にする彼女を、波嶺は静かに見送った。


リベンジに訪れた彼女は窮屈そうなブラジャーから解放され、大人の階段へと一歩踏み出す。
店にある全ての商品を並べた後、波嶺は一つ一つ丁寧に試着させ、悠理を諭した。

「お肌が白くてらっしゃるから、ホワイト系とピンク系は外せませんわね。こちらの商品などハーフカップですが持ち上げるワイヤーが優しくて、胸を美しく自然に見せてくれます。色も五色からお選び頂けますし、デザインもセクシーでしょう?あまりきつい色だと透けてしまいますから、私はこの辺りをお勧めしますわ。」

納得させた上で購入してもらう。
波嶺の販売方法はとても堅実だった。

それでも結局、五セットを一括購入し、ホクホク顔で店を後にする悠理。
頬をピンク色に染めた彼女を見て、とても良い恋愛をしているんだろうな、と想像した波嶺は、自らもなんとなく幸せな気分になった。


あの夏をきっかけに、清四郎と悠理は恋人へと進展し、意外にも仲睦まじく交際を続けている。
胸の小ささを意識したことが発端であったため、悠理はなかなか清四郎と結ばれようとはしなかったが、堪忍袋の緒を切らした彼が半ば襲うような形で迫り、二人はようやく本物の恋人へと昇格した。

まさか!恋愛と縁のなかった二人が交際するなんて!

聞いた仲間達は呆気にとられていた。
だがそこはさすがの有閑倶楽部。
たちまち興味津々な様子を見せ、馴れ初めについて根掘り葉掘り聞いてきたが、さすがにコンプレックスである胸については恥ずかしくて話せなかった。

あの日。
清四郎に敢え無く捕獲されてしまった悠理は、遠浅の海のど真ん中でこう尋ねられた。

「僕のことが好きなんですか?」

「ふ、ふん!だったら何だよ。」

「好きなんですね?」

「・・・・・・・・・・・。」

逃げ場もない中、いつもの調子で詰め寄られ、悠理はもじもじと視線を彷徨わせる。

「悠理・・・」

「・・・・・・・・・・好き。」

ようやくその一言だけを告げたはいいが、清四郎はしばらく沈黙したままだった。
何を考えているのか・・・太陽を仰ぎ見て、一瞬悔しそうな表情を浮かべた彼に、悠理は慌てて否定的な言葉を投げる。

「べ、別におまえとどうこうなりたいなんて思ってないぞ!」

「え?」

「い、今のままでも充分楽しいし・・・・」

「そうなんですか?」

「・・・・・・・・・・・うん。」

清四郎の驚いた顔が、徐々に何かを企んだような、意地悪なものへと変貌していく。

「ふむ。・・・ということは、僕が他の女性と付き合っても問題ないということですね?」

「え?」

「現状のままでいいとなると、僕も年頃の男ですから・・・少々困ったことになります。」

決して一般的な年頃の男が持ち合わせているような可愛げがあるとは思えないが、悠理は真意を読み取ろうと目を瞠る。

「ど、どゆこと?」

「恋人をつくって、美童のようにあれやこれやしたいのは男として当然だと思うんですがねぇ。」

一瞬にして全てを理解した悠理。
慌てて大きく首を振る。

「や、やだ・・!」

清四郎に恋人が出来るなんて我慢出来るはずがない。
当然の結論に達した悠理は海の中で清四郎の胸にしがみついた。
既に半泣きである。

「やだ・・・・・」

「全く・・・。最初からそんな風に素直になりなさい。僕が欲しいんでしょう?」

「・・・・・・・・・・欲しい。」

「下らないコンプレックスに振り回されなくても、僕がきちんと大きくしてやりますから。」

「?」

清四郎の腕が冷たい海の中で悠理の腰を抱き寄せる。

「それに・・・・おまえはなかなかスタイルが良い。気にすることは何もありません。」

「ほんと?」

「ええ・・・・・ほら・・・・興奮しているのがわかるでしょ?」

ぐいぐいと押し付けられたソレがまさか男の欲望だとは・・・・
歓びのあまり、脳内が飽和状態だった悠理はその時、全く気付かなかったのだ。



買い物の後、上機嫌で向かった先は菊正宗邸。
清四郎はニコニコ笑顔の悠理を出迎え、部屋に招き入れた。

「どうしたんです?機嫌が良いですね。」

「へへ!じゃーーん!」

何の躊躇いもなくブラウスの前を開はだけた悠理は、自慢げにランジェリー姿を晒す。
ベビーピンクの花刺繍が施されたサテン地のそれは、細かなレースに縁取られ、セクシーでありながらも愛らしいデザインだ。

「どう?」

「・・・・・ああ、新しい下着ですか。」

「可愛いだろ?」

「ええ。とても繊細ですね。」

「ふふん!おフランス製だもん!」

まじまじと見つめる恋人ににじり寄り、彼女は上目遣いで尋ねる。

「ど?似合ってる?」

「似合ってますよ。サイズもぴったりのようですな。」

「判る?」

「毎日触れているんです。判らないはずがないでしょう?」

清四郎はゆっくりと手を伸ばし、彼女が敏感に感じる尖りを確実に捉えた。

「あ・・ん・・・!」

「僕の言ったとおりでしたね。やはり女性ホルモンの欠如が原因だったようです。」

「ん・・・・ぁ・・・・もう、脱がしちゃうの?」

「脱がされるために買ったんでしょう?」

突き詰めればその通りなのだが、もう少し堪能してもらいたいという女心も発動する。

「すっかり女っぽくなりましたね。少し惜しい気もするが・・・」

「惜しい?」

繊細な指先でホックを外されると小さな胸がぷるんと揺れた。

「あの日、胸がないと落ち込んでいたおまえの水着姿に、僕は一目で惚れ込んでしまったんですから。」

悠理は聞き返す事が出来なかった。
噛みつくようなキスが、一気にアドレナリンを放出させる。

「でも、まあ・・・これからも期待していなさいね。あと2カップほどの成長は見込めますよ。」

’そんなにも要らないじょ’・・・とはもう言えない。

上り始めた大人の階段。
清四郎の手で作られる女の身体。

憂鬱だったあの頃の自分はもういない。

胸に巣くっていたはずのコンプレックスは、悠理の中から氷のように溶けていった。