Care

※ちょっと古い作品です

 

 

 

「いてててて…………あいつら不意打ちかよ。ったく。」

巷では名の知れた暴れん坊、剣菱悠理が珍しく足を引きずっている。
まだ幼さの残る膝小僧からは出血すら見られ、それはとても痛々しい光景だった。
身に着けた制服は、上流階級の子息子女が通う名門校のもの。
それなのに、真っ白なスカートは泥だらけである。
中学に入ったばかりの彼女は血気盛んに喧嘩を買い、生傷の絶えない日々を送っていた。

時折、”あたい、何してんだろ”、くらいの疑問は感じるものの、元来の性格が災いし、名門中学生らしい振る舞いを出来ずにいる。

ふらり街に繰り出せば、十中八九絡まれるか弱きお嬢様やお坊ちゃま。
悠理にとって自校の生徒を守るという正義感は、あくまで喧嘩をしたいがための大義名分。
今日も今日とて、悪来どもの襲撃を見事返り討ちにしていた。

「あら、また喧嘩ですの?聖プレジデントの恥晒しですわね。」

振り向けばおかっぱ頭の少女が蔑むように見つめてくる。
白鹿野梨子───今どきの日本で大和撫子と呼ばれる本物のお嬢様は数少ないだろう。
日本舞踊を嗜み、茶道華道は家元も認めるほどの腕前で、囲碁に至っては隣家の優秀な幼馴染をも負かす実力の持ち主である。
幼少期から続く悠理との因縁は、もはや修復不可能にも見えるのだが……人生何が起こるかわからない。
それは読者の皆様もご存知のとおりだろう。

さて、彼女の隣にはいつも通りお目付け役の菊正宗清四郎の姿あり。
涼しい顔にうっすら笑みを浮かべるその男もまた、悠理にとっては目の上のたんこぶだった。

「うっせ、あっちいけよ。」

制服の汚れを叩きながら、シッシッと犬のように追い払う。
そんな失礼過ぎる態度にはもう慣れっこなため、野梨子も大人しく引き下がったりしない。

「貴女がそうやって喧嘩を買うから、目を付けられるんじゃないかしら。」

「なんだと?」

聞き捨てならないとばかりに目を剝く悠理。
しかし野梨子の毒舌は止まらない。

「きっと他校の不良は貴女と喧嘩したいがために、うちの生徒を狙うんですわ。日頃の行動が裏目に出ますわね。学園としてもいい迷惑………」

「野梨子、止めなさい。」

清四郎がたしなめると同時、悠理の切れた口に血の味が広がり、彼女はそれをおもむろに吐き出した。

それを見た野梨子は眉を顰める。
自分とはあまりにも住む世界が違う。
同じ年頃の女子とは思えぬ行動に、心底不快感を抱いた。

「思ったよりひどいな……うちで手当てをしよう。」

「清四郎!?何を………!」

「親父の病院が近いんです。消毒しないとその膝からばい菌が入るよ。」

紳士的な態度で提案されたものの、悠理は首を横に振った。
他人の親切には慣れていない。

「いらねーや。こんなキズ、舐めたら一晩で治るし………ほっとけ!」

「剣菱さん……あのねぇ………」

二人に背を向け立ち去ろうとしたその時、清四郎は悠理の手を掴み、通りを渡り始めた。
呆然とする幼馴染をそのままにして。

 

「ちょ!なにすんだ!」

「君が馬鹿なのは知ってる。」

「なんだと!?」

「足を切り落とす羽目になったらどうするつもりだ!?」

聞き慣れない清四郎の怒声にたじろぐ悠理。
足を切り落とす………なんて脅されたら大人しくついていくほかない。

だいたい、いきなりなんのつもりだ。
今まで親切にされた覚えなんかないぞ

────と悠理は首を傾げた。

その後、徒歩数分で父親が経営しているという病院に辿り着き、外来とは違う処置室に連れ込まれた悠理は清四郎の手当てを受け、包帯を巻かれた。
あまりにも手際がよくて、驚くほかない。

(医者の息子って何でも出来るんだな)

「念入りに消毒しておいたから、たぶん大丈夫だと思う。しばらくは濡らさないよう気を付けて。」

「風呂、入っちゃだめなのか?」

「体を拭くくらいなら問題はないけど………意外ときれい好きなんだな。」

「………。」

消毒液の匂いが充満する部屋で、硬いベッドに二人並んで座る。
清潔なシーツは皺一つなく、糊がパリッときいていた。

「……………助かったよ。サンキュ。」

自分でも驚くほど素直に、感謝の言葉が口から滑り出す。
照れつつも横を窺えば、清四郎は穏やかな笑みで受け止めてくれた。

「どういたしまして。」

そんなお決まりの言葉の後、ゆっくりと視線が移動する。
包帯の巻かれた膝への熱っぽい視線。

「制服、早くシミ抜きしたほうがいいかも。」

「ん?ああ、家に20着くらいあるから平気。」

「はは……さすが剣菱……というか、まさか、汚す前提で購入してるのか……?」

呆れ顔を見せる男に悠理は笑う。

──悪くないな。こんな雰囲気も。

それは今までにない変化だった。

「口の中、ちゃんと濯いだのか?」

「お、おぅ!」

ふと視線が絡み合い、清四郎の手が当然のように伸びてくる。
幼い頃の記憶とは違い、もうすっかり男の手で、骨がしっかり浮き出ていた。

躊躇いのない接触。
悠理の目尻、頬、それから唇の端をなぞる長い指は思いのほか優しかった。

「少し腫れてるな……」

「………こんなの舐めときゃ……」

と言って、ハタと気付く。

(馬鹿だあたい。どうやって舐めるんだよ……)

笑いに変えたくても清四郎の目が真剣そのもので、それも出来ない。

徐々に近付く顔はあまりにも端正。
少年が青年へと移り変わる時期の曖昧な美しさ。

(こいつ……こんな顔だったっけ?)

通った鼻筋、整った眉。
漆黒の瞳は神童と呼ばれていた頃よりも深い知性を感じられた。

ペロッ

「ひゃっ!」

それはまさかの出来事で、悠理は思わず悲鳴をあげる。
彼の生暖かい舌が唇から数センチの場所を舐め上げたのだ。

「……これで治るでしょう?」

そう言って笑う清四郎は、年相応のいたずらっ子だった。
一瞬───ほんの一瞬、ときめく胸。
悠理の心を波立たせる。

「ば、ば、ば、バッキャロー!」

憤懣やる方ないといった態度で処置室から飛び出した悠理を、しかし清四郎は追いかけなかった。
彼女は学園きっての瞬足だからして、無駄な労力は使いたくない。

「うーん……もう少し横を狙えばよかったかな。」

そんな台詞は彼女の耳に届かないだろう。

これはもしかするとただの悪戯心?
いや……一般的な青少年の好奇心か。
彼とて13才。
それなりの興味がわいてもおかしくはないのだ。

 


 

「いててててててっ!!!」

「こら、大人しくしなさい。」

「だってそこ、いてーんだもん!」

「いい加減、大人なんですから、怪我なんかしないでくださいよ。」

巷の外科医より遥かに優秀な男。
そんな彼が包帯を巻く姿は、剣菱家ではすっかり見慣れたものである。
メイドたちは言われた通りの薬を並べ、彼の手元を尊敬の眼差しで見つめている。中にはそれ以上の感情を持つ者もいるだろうが……ここでは特に必要な情報でないため割愛する。

 

「あいつらが悪いんだぞ!……うちの後輩にカツアゲしてたんだから!」

「止めに入ったのはいいとして、飛び蹴りを食らわした後、どうして用水に落ちるんです?情けない。」

「そ…それは、目測を見誤って……」

もごもごと口もごる悠理はヘの字眉。
昔から調子に乗ると大怪我をするというジンクスがついて回る彼女は、目の前の男に何度も溜息を吐かれていた。

「とにかく、骨折しなくて良かったですね。来週からヨーロッパ旅行が始まるんです。安静にしてきちんと治してくださいよ。」

手当てを終えた清四郎は、悠理を軽々と抱え上げ、寝室へと向かう。
その後ろ姿は盤石かつ美しく、逞しい男の背中をしていた。

「素敵ねぇ………」

ため息交じりの称賛が浴びせられるのも当然。
あれから十年が経つ。
少年だった清四郎は、いまや剣菱財閥の跡取り候補なのだ。
もちろん悠理にとってこの上なく頼りがいのある恋人。

二人は来年、大学を卒業と同時に結婚予定だ。

「二、三日、風呂は無理ですよ。」

「やっぱそ~だよなぁ……。」

太ももから膝にかけての傷は深くはないものの、それなりの出血をしている。
お湯が少しでも染みれば、雄叫びをあげることだろう。
悠理は自室のベッドに転がりながら、溜息を吐いた。

「体、拭いてやりましょうか?」

「へ?…………あ、いや、自分で出来るって。」

風呂を共にすることはあれど、さすがに照れが生じる。
ただでさえ世話をかけているのだ。
これ以上看護師のような真似はさせられない。
悠理は遠慮がちに首を振った。

「今更何を照れることがあるやら。おまえの体で知らない部分なんかありませんよ。」

「わ、わぁってるけど………それとこれとは………」

口ごもる悠理を清四郎は面白そうに見つめる。
10年前、彼女との距離が少し近付いたあの日。
清四郎の唇は初めて悠理の感触を知った。
柔らかな肌は子供特有の張りがあり、血にまじりほんの少しの甘さを感じる香りが鼻をかすめる。

膝の手当てをしながらも細く美しい脚に目が釘付けとなり、
潔癖な幼馴染には感じたことのない、いけない欲望が彼の脳裏に生まれたのだ。
色即是空を唱えても、なかなか去ろうとはしない明らかな性欲。

まさか、初めて訪れた欲情の相手が悠理だとは────

到底信じがたい出来事だったが、それでも少年はその流れに身を任せた。
傷を舐めるといった行為で、小さく膨れた願望を昇華させる。
ささやかだが、どうにも抑えきれない衝動で。

あれから十年の月日が経ち、今はもう清四郎の思うがまま。
腕の中で痴態を繰り広げる恋人はあの頃の少女ではない。
少しの懐かしさはあるものの、それでも今の悠理が清四郎の全てだった。

「おいで、悠理。」

少しの躊躇いを見せながらも、悠理は清四郎の腕に収まる。
それはまるで飼いならされた猫のように、従順で艶めかしい。
顎を持ち上げれば自然と閉じる瞼に悠理の覚悟を感じ、清四郎は優しく食むようなキスをした。
もちろんそれだけで終わるはずもない。
刻一刻と深まる貪欲な口付け。
乱れる吐息の中、恋人のやらしい舌を受け入れ、悠理の体はどんどん熱くなっていった。

「足は痛くないか?」
「…………うん。」

夢の中に片足を突っ込んでいるのだろう。
瞼を落としたまま、悠理は答える。
身体を繋げた後、清四郎は発言通り、彼女の肌を綺麗に拭き上げた。
”向こう見ずなじゃじゃ馬娘”
それを理由に、様々な傷が生まれては消えを繰り返す。
人一倍代謝がいいのか、過去の痕跡がほとんど残らないのが救いだ。

悠理が寝入ったのを合図に、清四郎はシャワールームへと向かう。
今はもう、自分の家より落ち着く空間だ。
たとえサーモンピンクの悪趣味な部屋だとしても、彼女の香りに包まれている気がして心休まる。
必然的に寝泊まりすることも多かった。
近い将来、ここが本当の家となるのだろう。
悠理の側で、剣菱の為に、世界中を駆け巡る。
それはまるで運命のように──

「あれが切っ掛け………とはさすがに言えませんがね。」

そう言って自虐的に笑うと、清四郎はきらびやかなシャワールームへと消えていった。