「よっ。あんたが夜の街をうろつくなんて珍しいな。」
染み付いたたばこの香り。
高校生には見えない鋭い眼光と、無骨なファッション。
一見アウトローな彼だが根は真面目で、だからこそ僕たちと長く付き合えているのだと思う。
「たまには、ね。」
バーボンのグラスを傾けながら、落ち着いた大人の空間を味わう。
この店は確か美童に教えてもらったはず。
情報通な彼のおすすめとあって、雰囲気は100%、僕好みだった。
魅録を呼び出した理由はさほど明確ではない。
ただ一人で飲みたくなかった、そんな夜もある。
時計は9時をまわったところで、まだまだこれからが儲け時なこのバーは年配のバーテンダーが一人で切り盛りしていた。
「で、今日はどんな面白い話が聞けるんだ?」
夏らしさ感じる爽やかなカクテルをあおりながら、不敵な笑みでこちらを見遣る。
さて、彼の期待に応えるべきか、応えぬべきか。
「魅録は恋愛よりも趣味に生きたいタイプですよね?」
「なんだよ、急に。」
「僕も基本そうだから、理解できるんです。」
思案しているのだろう。
長い指でカウンターを数回叩くと、諦めたように溜息を吐いた。
「正直言えば、おまえさんの言うとおりだ。恋愛に邪魔されたくない。」
「………なるほど。」
「でも、な。」
過去の記憶を手繰り寄せている彼は、確信を得たように言葉を続けた。
「恋なんて、しちまったら最後、どう足掻いても抜け出せやしねぇよ。」
「!」
なんということだ。魅録の心には今もあの島の王女への想いが住み着いている。
決して失恋したわけではない二人。彼らはまだ若く、想いを遂げるには色んなものが離れすぎていただけ。二人が結ばれるにはハードルが多すぎた。
「いつか……いや、そんな仮定は無駄ですよね。」
無言で飲み干すそのカクテルはきっとほろ苦いだろう。
魅録はいい男だ。
僕も認めている。彼ほどの男はなかなかいない。
悔しいけれど、それが事実だ。
「で?おまえさんは今、境界線に立たされている……そんな感じか?」
「ふ……さすがですね。」
「相手は?…………いや、当ててやろうか。」
ニヤリ
シニカルに笑う魅録の洞察力に白旗を挙げるのは、もはや予定調和。
「想像通りですよ。」
「くくくっ……やっぱりな。あんたが恋愛出来る相手なんて、あいつしかいないって思ってたさ。」
少々面白くないが、彼の言うとおりだ。
おかわりのグラスには先ほどより多くの酒が注がれ、濃密な琥珀色が口を滑らせる役目を担う。
「それで?どこまで進んでるんだ?あんたのことだ。どうせ勝算のない戦いはしないつもりだろ?」
「気持ちを伝えただけです。正しく伝わっているかどうかは不明ですけどね。」
国語力に乏しい相手だと苦労する。
「まあな。相手の知能に合わせてやらないと、無駄骨ってやつだぜ。」
よほど面白いネタだったのだろう。彼のグラスは瞬く間に空となり、早速次の酒を吟味し始めた。
「悠理は………わりと素直な奴だからさ。あんたが真っ直ぐに心を開けば、きっと受け入れるはずだ。俺らもいい年なんだし、もう子供じみた関係からは卒業しなくちゃな。清四郎さんよ。」
「子供じみた関係?」
「俺はあんたが中学の頃から悠理を気に入ってたのは知ってる。からかって、いたぶって、それでも離れられないように縛り付けて、時に甘やかして。ちょいと歪んではいるが、間違いなく独占欲を見せつけてたじゃねぇか。」
彼の言葉に唖然とした。
ハンマーで頭を殴られたような衝撃が走る。
僕が悠理をずっと独占していた?
それが恋愛からくるものだって?
ペットのように接してきたつもりだったが、魅録の目にはそう見えていたのか。
そんなことは初めて知る。
「勘弁してくださいよ。こういう類の話は苦手なんです。」
「よく言うぜ。」
心を覗かれることは慣れていない。
見透かされることも正直不愉快だ。
相手が魅録だからこそ、踏み込んで来られても我慢が出来る。
それは彼に心を許してる証。
「果たして……あいつと恋愛なんて出来るんでしょうか。」
「はは、何言ってんだ。」
彼がオーダーした二杯目のカクテルはこれまた爽やかな青色をしていた。
「おまえさんはもう、腰までどっぷりと浸かってるんだよ。だからこそ俺にこんな話を持ち掛けてる。そうだろ?」
完全なる敗北。
彼の言うとおりだ。
僕は間違いなく悠理を意識していて、出来るだけ早くそれなりの形に落ち着きたいと考えている。
彼女の真っ赤な顔を思い出せば、胸が疼く夜が増え、あの日の答えを待ちわびている自分に気付く。
『さっきの言葉は嘘じゃありません。だから、本気で口説いてもいいですか?』
『う、嘘だ!おまえがあたいのこと……そんな風に思ってるわきゃねーだろ!?清四郎の嘘つき!』
そう叫び立ち去った悠理はあの日から学校を休んでいる。
今日で4日目。
来週半ばから旅行だというのに、このままでは拙い。
だからこそ、魅録を呼び出してしまったのだ。
「実を言うとな、悠理は俺に相談してきたんだ。」
それは想定内だった。
結局のところ、悠理が頼れるのは魅録だけ。悔しいが二人の絆は確かに強い。
「聞いてもいいですか?」
「構わねえさ。」
内容は予想を超えるものではなかった。
混乱した悠理が喚き散らし、それでも僕の言葉から真意を読み解こうとしている。
恐らくは真っ赤な顔で……必死に考えていたはずだ。
「あいつは………おまえさんが大事なんだと。」
「…………え?」
「馬鹿でおっちょこちょいで、トラブルメーカーで下品で。そんな自分が恋人に不向きだってことくらい解ってるって嘆いてたぜ。どうせ破局するくらいなら友達でいたほうがいいって。」
これまた彼女らしからぬ後ろ向きな意見。どうやら僕は色んなことを見逃しているようだ。
「それは……」
「ようするに、付き合ったら別れたくないんだろうよ。だけど自信がない。それだけの話さ。」
進められるがままタバコを手にし、ゆっくり頭の中を整理し始めた。
芽生えた可能性と希望に向かって。
「魅録。」
「ん?」
「僕が莫迦でした。魅録の言う通り、子供じみた関係には終止符をうちますよ。」
「あ?ああ……いいんじゃないか?」
「それじゃお先に。御礼はのちほど。」
考えるまでもない。
ごくごく簡単なことだ。
悠理を素直にさせるには、こちらがそうすればいいだけの話。
未来を信じさせる想いを与えればいいだけ──
なみなみと注がれた酒を一気に飲み干すと、頼りがいのある友人に礼を告げ、これから馴染みになるだろうバーを後にする。
向かう先はただ一つ。ズル休みを決め込んでいる彼女の家だ。
『絶対に仕留めてやる!』
そんな心意気でタクシーに乗り込めば、外を流れるきらびやかなネオンが、愚かな男の背中を後押ししてくれるように感じた。