憂鬱なマーメイド

突き抜ける青空。
爽やかな潮風。
何よりも大好きな季節。

━━━━なのにあたいの心は晴れない。

いつもなら我先に飛び込む海を眺めながら、悠理はビーチパラソルの下で砂浜に‘の’の字を書いていた。
アイスブルーのパーカーを羽織ったままで。

━━━あ~あ。やっぱこんな水着、どだいあたいには無理だったんだよ。

見つめる先には仲間達のはしゃぐ姿がある。
特にビーチボールを追いかける可憐の胸がたわわに揺れ、それを浜辺の男達は舐めるように見ていた。
目に眩しいほどの白いビキニが良く似合う。

━━━幼児体型の野梨子だって、あたいよりはあるもんなぁ。

パステルピンクのワンピース型水着だが、フリルのついた胸元はふっくらと形良く、清楚な野梨子にぴったりだ。

悠理はのっぺりとした自分の胸を見下ろした後、深い溜め息を吐く。

━━━大学生になったら少しは成長するかと思ったのに………なんだよ。期待はずれもいいとこだよな。

成長ホルモンは大切なところに作用しなかったらしい。
いつまで経っても子供以下の胸は、選んだ水着を後悔させるほどささやかなものだった。

━━━別にいいんだけどさ。あってもなくても、あいつは気にも留めないだろうし。

波打ち際で遊ぶ五人を羨ましく思っても、なかなか腰は上がらない。
パーカーが鎧のように重く感じ、いつもの勢いを確実に削いでいた。

胸………

それはささやかなコンプレックスだったはずなのに、今は巨大化しつつある。

━━━好きな男に少しでも良く見られたい。

そんな当たり前の感情が、ようやく彼女に芽生えたからだ。

今回、水着を選んだのは悠理自身。
オレンジとイエローのストライプ柄のビキニは夏の陽射しに負けない華やかさがあった。

しかし着替えた時、胸元の際どさに唖然とする。
パットが思った以上の効果を見せないからだ。
寄せて上げるほどの膨らみすら持ち合わせていない為、パットで盛り上げたとてどこか寒々しい。

━━━やばい。こんなの無理だよ!

浜辺の更衣室で悠理は独り呻く。
先に着替えを終わらせ、通り過ぎる可憐をチラと見れば、豊満な胸が水着からこぼれんばかりに主張していた。

悠理は普段なら絶対に着ないはずのパーカーを羽織り、更衣室から飛び出す。
浜辺では今年流行りのビキニに身を包んだ女性達が自信ありげに練り歩いている。
柔らかな曲線が恨めしい。

「せめてBカップくらいあったらなぁ。」

物によればAカップでも余るほどのサイズ。
ビキニなど元々ハードルが高すぎたのだ。

腹が痛いから、とパラソルの下で休む彼女を、仲間達はいつものように馬鹿にした。
清四郎だけが心配そうに薬を勧めてきたが。

「何食べたらでかくなるんだよぉ。」

「確かに食べ物も大切ですが、おまえの場合、女性ホルモンですかねぇ。」

「ぎゃ!せ、せ、せぇしろ!」

「腹具合は良くなりましたか?」

いつの間に辿り着いたのか………
日に焼け、少し赤らんだ肌を見せながら清四郎は隣に座った。
クーラーボックスからペットボトルを取り出し、ごくごくと飲み干す。
首にかけられたタオルの隙間から見える、少し濃い色をした乳首に目が奪われそうになり、悠理は慌てて顔を背けた。

「よ、良くならない。」

「ふむ………。」

パーカーの前をぎゅっと掻き合わせ、視線から逃げるよう、身体を傾ける。
それを横目で見つめながら、たっぷりと水分を補給した男は不意に口角を上げた。

「悠理もお年頃ですからね。色々悩みもあるんでしょうが、気にしすぎないことです。それに僕は………」

一息の間を入れた後、清四郎は続ける。

「胸の大きさなんかで女を選びませんよ?」

勘の鋭さは天下一。
悠理は真っ赤になりながら俯くしかない。

━━━ば、ばれてる!?

パーカーを握る手が震え、今すぐにでも砂浜に埋もれたい気分に陥るが、清四郎の次の言葉に、悠理は呆気にとられた。

「で?そんなにも胸を気にするきっかけとなった相手はどっちなんです?」

「へ?」

「美童………はさすがに好みじゃないだろうから、やはり魅録ですか?」

「は??」

思いがけない台詞を耳にし、咄嗟に振り向いたはいいが、清四郎は涼しい顔で「どうなんです?」と答えを促した。
先程までの焦りが一瞬で霧散し、代わりに沸々とした怒りがこみ上げる。

悠理は躊躇うことなくパーカーを脱ぎ去ると、勢いをつけて立ち上がった。
その姿を清四郎は眩しそうに見上げる。

華奢な身体に見合った細い腰。
そして高いウエストから延びる長い脚。

秀逸なデザインの効果もあるのだろう。
逆光に浮かび上がるしなやかなシルエットは、色恋沙汰に無関心だった男の胸を確実に射抜く。

悠理はそんな彼を冷たく見下ろした。

「こんの鈍感男!!あたい、泳いでくる!!!」

熱い砂をものともせず、裸足で駆け出す後ろ姿。
水面の光を背景に、まるで人魚の如く海へと飛び込む悠理。
眩さに同化する影は瞬く間に消えてゆく。

「やれやれ。…………確かに僕は鈍感なようです。」

珍しく自己反省を見せた清四郎は、遠くへ泳ぎ去ろうとする人魚を捕獲するため、ゆっくりと立ち上がった。

恋とは無縁だったはずの二人。
彼らの暑い夏はここから始まる。