「あら。悠理は今日、休んでるの?」
いつもなら6人が必ず揃うおやつの時間。
手製のケーキを人数分に切り分けようとした可憐は、ようやくその人物が不在であることに気付いた。
彼女が居なかった試しは無い。
その不自然さに首を傾げた可憐へ、すかさず答えを与えたのは魅録だった。
「ああ、夕べはメールで頭痛がするとか何とか言ってたな。」
「悠理のことだからさぼってるだけじゃない?」
美童のありがちな指摘に納得した野梨子は、淹れたての紅茶を差し出し、「困ったものですわ。」と付け足した。
彼女のさぼり癖はいつものこと。
仲間達が細々と世話を焼かなければ、自分が出る講義の日程すら把握していないだろう。
未だ、悠理が大学生であることに疑問を持つ仲間達。
中学レベルの英語も会得しないまま進学した人間は彼女しか居ない。
つくづく剣菱の財力とは・・・・と溜息を吐く5人であった。
「違いますよ。」
断定的に口を挟んだ清四郎を皆が振り向く。
何処と無く不機嫌そうに見えるのは、眉間に深い縦皺が刻まれているせいか。
彼は朝からこの表情だが、気付いた者は共に通学する野梨子だけ。
しかし彼女も理由を聞くにまで至っておらず、ただ不機嫌な幼馴染みを遠巻きに見つめていた。
「あら、清四郎ったら。何か知ってるみたいね。」
「皆さんに話があります。」
ケーキ皿を配る可憐へ着席を促し、清四郎は重い口を開いた。
昨日起きた、想定外の出来事を告げるために…………。
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何とも言えぬどんよりとした空気が漂う中、口火を切ったのは野梨子だった。
「悠理が可哀想ですわ。」
ポツリ呟く。
「僕も………正直、反省しています。あいつにあんな恐怖を与えるつもりは無かった。」
「で、でもさ、それは清四郎のせいじゃないよ!」
「何言ってんのよ、美童!普段から興味本意であの子を探知機扱いしてるからこんなことになるんじゃない!」
美童のフォローをばっさり切り捨て、可憐は憤慨する。
そんな中、腕組みしたまま険しい表情を浮かべる魅録は、一人沈黙を貫いていた。
「悠理だって………年頃の女の子なのに。これがきっかけで男性恐怖症にでもなったらどーすんの!?笑えないわよ!」
痛いところを突かれ、ぐうの音も出ない清四郎を美童が再び庇う。
「あいつがそんな柔な女じゃないってこと、可憐だって知ってるだろ?今までもこんな事、よくあったじゃないか。」
「でも…………わたくしは想像しただけでも気持ちが悪いですわ。悠理が気の毒で…………」
「当たり前よ!脂ぎったハゲ男に押し倒されるだなんて、たとえ夢だったとしても気が狂いそうだわ!」
女二人の言い分は尤もだ。
項垂れる清四郎を見つめながら、おろおろする美童。
魅録は深い溜め息を吐いた後、ようやく言葉を発した。
「おきちまった事は仕方ねぇよ。美童の言う通り、あいつはそんなことでトラウマになるような女じゃねぇし、清四郎が悪いわけでもない。今はとにかく、その悪霊女の件をとっとと解決しすることが先決じゃねえのか?悠理が身体張ってくれたおかげで貴重な手掛かりは見つかったんだしよ。」
皆は口を閉じ、魅録の言葉を噛み締めた。
確かに、ミセスエールの期待に応える為には依頼された仕事をやり遂げなくてはならない。
しかしどう考えを巡らせても、あまり後味の良い事件では無さそうだ。
学生一人が亡くなった事を含め、それに隠れた陰湿な背景に、五人はそれぞれ、気を引き締めなくてはならないと覚悟する。
「取り敢えず、悠理が見た‘彼女の思念’?ってヤツを分析しましょ。脂ぎったハゲ親父なんて何処にでもいるけど、まずは大学関係者から洗い出さないとダメね。」
「悠理の証言から考えると、彼女とその男は複数回にわたり関係があったと考えられます。’吉久保さゆり’の怨念は明らかに強い。決して納得の上での関係ではないでしょう。」
「あんな美人が脂ぎったハゲ親父に無理矢理・・・・うっぷ。かわいそすぎるよ。」
「理由があるということですわね?脅されていたか・・・もしくは利害が絡んでいたか。」
野梨子の意見に皆が賛同する。
ようやく解決への糸口が見つかったのだ。
五人の士気も否応なく高まる。
「よし。出来れば悠理にハゲ親父の似顔絵でも描いてもらえれば助かるな。いっちょ見舞いがてら頼んでくるか。」
勢い良く立ち上がった魅録を清四郎が止める。
「僕が一人で行きます。」
「え?」
「悠理のご機嫌うかがいは僕一人にさせてください。」
きっぱりと言い切られ、魅録は一瞬たじろぐ。
しかし、‘悠理の扱いは清四郎に限る’と信じている彼は、あっさりと引き下がり「よろしく伝えてくれ」と言い残した。
そんな清四郎の横顔に何か別の決意を感じた野梨子は、用意したクッキーの詰め合わせを手渡す。
「労ってあげてくださいな。」
そんな心からの言葉と共に━━━━。
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すべてが規格外。
剣菱家の住人でまともな人物は跡取り息子だけである。
清四郎が悪趣味な屋敷に到着した時、悠理は父親と共に畑から野菜を収穫していた。
良く働くメイド達がそれらを集め、厨房へと運ぶ。
今夜の晩餐に使われるのだろう。
籠いっぱいに詰め込まれた土付きの新じゃがが、黄金色に輝いていた。
「こんにちは。」
「清四郎!良いところに来たじゃん!」
ニカッと笑う悠理はいつもの姿だ。
清四郎はホッと胸を撫で下ろし、「何が始まるんです?」と様子を窺った。
「今日は客が三人ほど来るんだ!んで夕食会。どうせならおまえも食ってけよ。」
「良いんですか?」
「ああ。だって相手はえーーと………ケイザイガクシャ(経済学者)?って奴等で、兄ちゃんがわざわざ招いたんだ。清四郎も小難しい会話、好きだろ?」
確かに彼は、学者相手にも引けを取らないほどの知識を持ち合わせている。
そして、それら専門家を前にして持論を展開する事に快感を覚えるタイプだ。
もちろん自分の得意分野に限るが・・・・。
「お言葉に甘えるとしましょう。それより・・・体調はいかがですか?気分は?」
「あ・・・・もしかして、心配してきてくれたんだ?」
「僕の所為ですから・・・。」
悠理は泥まみれの手を叩くと、へへんと鼻を擦った。
花の女子大生の仕草では到底なかったが、そんな彼女らしい姿に清四郎の胸がほころぶ。
「大丈夫だい。あんなの一晩寝たら忘れちゃったもん!」
それが真実であると信じたい。
清四郎は悠理の汚れた鼻の下をハンカチで拭うと、優しく微笑みかけた。
「野梨子達からクッキーを預かっています。畑仕事でお腹がすいたでしょう?ちょっと遅めのおやつとしませんか?」
「うん!」
満面の笑顔。
子供のように衒てらいのない表情は、清四郎だけでなく他の仲間達にとっても貴重な宝だ。
まだ、’大人’に………’女’になどならなくていい。
そう願うことはもしかすると彼の我が儘であるのかもしれないが・・・・。
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そんな彼女の笑顔が一瞬にして消え去ったのは、晩餐を前に、賓客用の控え室に出揃ったゲストの顔を見た時である。
顔面蒼白。
挙動不審。
いち早く気付いた清四郎が、悠理の側に駆け寄る。
「どうした?」
彼女は恐る恐るといった感じで、彼の肩越しに指を差した。
「あれ・・・・・」
「あれ?」
人差し指の先に見える人物。
それは恰幅の良い、少々髪の毛の薄い、まさしく50代の男だった。
「まさか・・・・・・・・」
勘の鋭い清四郎は悠理を振り返る。
「あの人は・・・確か、直木賞作家の’盛田誠吾もりたせいご’ですよ。間違いないんですか?」
「盛田誠吾」は純文学者である。
東京の有名大学の客員教授として幅広く活躍している上、自身も7年前直木賞を獲った有名な作家。
何故この場に呼ばれたのかは定かでないが、隣に立つ経済学者「山村太一郎」と親しげに話しているわけだから、きっと横繋がりは強いのだろう。
「あ、あいつだよ。間違いない。ほら、耳の下にホクロあるだろ?」
悠理の驚異的な視力は確実に捉えているのだろうが、清四郎にはよく見えない。
しかし彼女の記憶はまだ新しく、決して適当な事を言っているようには感じなかった。
「せいしろ……寒気する。」
それは霊現象などではなく、本能的な嫌悪感なのだろう。
悠理の肩が小刻みに震え出す。
呼び起こされた記憶に唇が真っ青に変化していく。
(どこがトラウマになってないと言うんだ!)
魅録や美童の軽はずみな言動にではなく、自分への怒りが沸々とこみ上げてくる。
まだまだ子供だと思っていた少女に与えた傷は、想像以上に大きかった。
「悠理・・・・僕がいる。大丈夫だ。」
小声で囁く清四郎に身をすり寄せる悠理。
(彼女にとって、ここだけがどこよりも安全な場所だと認識して欲しい。)
そんな願いを込めて、彼は震える肩をそっと抱き寄せた。
芽生えた感情に、未だ名前は付けられない清四郎。
しかし、思った以上に小さく頼りない悠理を実感した彼の胸は、今まさに熱く燃え盛ろうとしていた。