ユーリとセイシロウが恋人となり半月が経った。
その間、ノリコ姫はすっかり健康を取り戻し、約束通りに皆を果実の森へとピクニックに誘う。
たくさんのご馳走とスイーツ、初めて会う妖精達への土産も忘れずに。
森に住むおしゃべりな妖精達もまた、素直で愛らしい姫を歓迎ムードで受け入れた。
ユーリが以前に話したカレンとビドウは姉弟ながらも仲の良い番(つがい)である。
姉弟といっても両親は楪(ゆずりは)の小さな花に魔法をかけ二人を生み出したのだから、たとえ番となっても何ら問題はない。
妖精族は皆、何かしらの樹木を元に生み出され、その多くは二百年から三百年の寿命だと言われている。
そして彼ら全てがこの世の美を掻き集めたかのように美しく、光り輝く存在なのだ。
「そういや妖精の谷に魔物が出たって本当か?」
生クリームたっぷりのケーキを両手に持ちながら、百歳の見習い魔女ユーリはカレンとビドウへ尋ねた。
それはつい最近耳に飛び込んできた噂。
国に関与する不穏なニュースは、風の精霊がたちまち教えてくれるから楽である。そこにはユーリが大魔女の娘だからという理由もあった。
金色に輝くウェーブヘアを風に靡かせ、美の化身でもある彼女達は静かに頷く。
カレンとビドウ。
その類まれなる美貌と虹色の羽は、まさしく妖精が持つ特徴の一つだ。
「そうなの。あの時は長老が追い払ってくれたから良かったけど、あたしたちだけじゃ太刀打ち出来なかったかもしれないわ。」
「カレンの言う通りさ。あいつは二つの山を越えやってきた“闇を操る者”だからね。ボク達のような若輩者じゃ歯が立たないよ。」
お手上げとばかりに肩を竦める二人。
妖精は人を惑わせる程度の鱗粉は振り撒けるが、魔物相手では何の効果もない。
いわゆる弱者なのだ。
「なるほど。闇を操る者、か。普段は人間の世界に関わろうとはしないし、顔も見せないくせに……一体どういうつもりだ?」
首を傾げつつ、ペロリとケーキを平らげる恋人へ、セイシロウは不安な表情を見せる。
“闇を操る者”―――は数多くの文献にも載っているが、ユーリの言葉通り人間との接触は滅多にない。
人間界に住む妖精もまた、奴らにとって関心を持つ対象ではないという。
「とにかく母ちゃんには伝えてあるから、何かあったら直ぐに頼るんだぞ?」
大魔女ユリコの力を知る者達はその言葉に深く安堵した。
「ユーリ様、わたくしもいつか大魔女様にお会いしたいですわ。」
黒い瞳を輝かせながらユーリに詰め寄るノリコ姫。
幼い興味をそのまま口にする彼女を、ユーリは微笑ましく思う。
「あたいの母ちゃん、想像してるより怖いぞ?機嫌損ねたら薬草と同じ鍋で煮込まれるかも……」
半分脅しであったが、半分は真実だ。
蛇を丸呑みする勢いで睨まれると、爪の先すら動かすことが出来なくなる。
あとは彼女の思うがまま。
金縛りにあった身体は呼吸もままならず、苦しみ悶えることとなる。
誰もが認める魔力の持ち主、それがユーリの母親であった。
「………き、気をつけますわ!」
「ま、ノリコならきっと大丈夫さ。母ちゃんの好みっぽいし……」
美しいものがこの上なく好きな母にとって、ノリコの可憐な容姿は有利に働くだろう。
時折、妖精たちを多く侍らせ、悦に浸っている母をユーリは知っている。
彼女にとってそれこそが魔力の源。
この世のありとあらゆる美しいものを収集する大魔女は、手段を選ばないから恐ろしい。
ピクニックを終え、ノリコ姫を城に送り届けたセイシロウとユーリは、彼の住む家で二人きりの時間を過ごしていた。
ユーリの魔力も体力も完全に回復し、今がまさしく蜜月である。
朝夕関係なく互いの身体を貪り、より深みへと嵌っていく二人は、もはやひとときも離れられない関係となっていた。
「ユーリ………ダメだ……もう一度……」
「…………いいけど……ちょっと……喉、渇いたかも……」
テーブルに置かれたグラスから口に含んだ水を直接ユーリへと分け与えるセイシロウ。
喉を潤すはずのそれが、媚薬となりユーリの身体に火を灯すのは何故なのか。
セイシロウが持つ雄のフェロモンが遺憾なく発揮され、ユーリの“女”を刺激するためだろうか。
深い口付けに思考を奪われると、抵抗する間もなく快感の渦へと引きずり込まれてゆく。
「ユーリ…………!」
「セ……イシロ………ウ……も、ダメ……!」
快楽に溺れきった身体は何度達しても離れようとしない。
魔力もチャームも必要としない純粋な愛の行為。
セイシロウはユーリの全てに囚われ、ユーリもまたセイシロウの強い想いに囚われた。
果てのない欲望はまさしく甘露。
惹かれ合う心と身体に逆らえるほど、二人の想いは軽くはなかった。
「魔女と人間。はたして結婚は赦されるでしょうか。」
「へ!?結婚!?」
体力の限り求め合った後、ベッドに沈み込んだユーリが耳を疑ったのも当然だ。
「過去の文献には登場しないので、どのような手順を踏めばいいのか分からなくて………」
出会ってまだ間もない二人が結婚?
人間より遥かに長く生きる魔女にとって、それはあまりにも短絡的な質問であった。
「いや……あの……あたいは……」
「もちろん!ご両親にはきちんと挨拶します。僕は非力なただの僧侶ですが……認めてもらえるよう努力もするつもりです。」
非力……では決してないだろう。
ユーリは頭の中でそう呟いたが、確かに魔女と人間の間には大きな能力の差があり、それはどう足掻いても埋められるものではない。
寿命の壁―――これもまた難しい問題の一つであった。
「そんな簡単に……決めていいのか?」
「………ユーリは僕を愛していないんですか?」
“愛”とはまた、厄介な言葉を出してくるじゃないか。
「あたいは………恐らくだけど千年も生きるんだぞ?おまえとは違う。」
「だから?」
「だから……その………」
「この先のユーリの百年を……僕にくれませんか?長く健康に生き、誰よりも愛すると誓います。」
きっぱりそう断言するセイシロウの瞳には、少しの迷いも見当たらなかった。
美しく逞しい青年の本音がユーリの心を揺さぶり、鷲掴んで離さない。
魔力で捕らわれた生贄のように、反論する力を奪われてしまう。
「後悔……するかもよ?」
「してもいい。」
「いつか……人間の娘が欲しくなるかもしれないだろ!?」
「なら……その時は好きにしてください。」
「え?」
「ユーリの思うがままに。八つ裂きにするなり、毒殺するなり、谷底へ投げ入れるなり………。」
その恐ろしいまでの覚悟はユーリに悦びを与えた。
これがこの男の愛というのなら、自分もまた覚悟を決めるしかないだろう。
そう思い、一つの提案を口にする。
「わかった。結婚しよう。」
「本当に?」
「だけどもし!………もし他の女を好きになったら……あたいは魔力でおまえの頭の中から記憶を奪う。そして何事もなかったように立ち去る。それでいいか?」
「…………そんなこと絶対ありえませんが、ユーリがそれを望むなら。」
「うん。」
セイシロウの顔を見つめると、不変の愛を信じているのだとわかる。
けれど人間は哀しいほど愚かで、弱い心の持ち主だ。
百年もの間、人間たちの営みを間近でみてきたユーリにとって『絶対的な愛』というものがどれほど稀なものか、嫌というほど知りつくしていた。
「………結婚してくれるんですね?」
「いいよ……。」
「今よりもっと愛していいんですよね?」
「え……?あ…………うん……」
覚悟してもらいますよ、と嬉しそうに笑った恋人は、ユーリを強く強く抱きしめ、約束のキスを求めた。
こうして魔女と僧侶という異色夫婦が誕生し、一年後、自らかけた子宮への魔法を解いたユーリは女の子を出産。
翌年には男の子を出産した。
月日はこのまま穏やかに流れるかのように思えたが……その年の冬。
忘れかけていた存在……そう、『闇を操る者』がまたしても現れる。
今度は王国内の街中に堂々と。
その者の狙いは千年に一度の繁殖。
そして相手に望むは大いなる魔力。
闇を牛耳る者が獲物と定めた相手、それこそが大魔女の一人娘ユーリであった。