青い夏の日(前)

「清四郎君!」

 

世の中の大半の男がその姿に目を瞠らせることだろう。
アイドル顔負けの可愛さと、程良い肉感の艶めかしいボディ。
色白の肌はきめが細かく、化粧っ気がなくともパッチリとした目鼻立ちが愛くるしい。
薄紅の唇は常に潤いを保ち、ほんのり爽やかな色気を醸し出していた。
これで十五歳とは………いやはや恐れ入る。

美童の鼻下は当然の如く伸びっぱなし。
魅録ですら目が合うと咳払いして取り繕う始末。
男心をくすぐるタイプの彼女を前にして、いつものポーカーフェイスを決め込んでいるのは清四郎ただ一人だった。

「ね、一緒にバナナボート乗って?」

「それなら美童か魅録に頼んでください。」

「やっ!真結(まゆ)は清四郎君と乗りたいの!」

「僕は乗りたくありません。」

遠慮や恥じらいのないストレートな恋心。
それを見せつける少女に、美童のモテプライドが音を立ててひび割れてゆく。
ひきつる頬はそれでも彼の美貌を崩さないが、心はまさしく暴風雨。
“世界中の恋人”と名高い男も、裏を返せばこんなもの。
幼女ですら惑わせる自信があったはずなのに………どういうことか、彼女は清四郎にしか興味を示さない。
最大の屈辱である。

「まぁ、あれよ。変わった趣味の子なのよ。」

様子を見ていた可憐のフォローも虚しく潮風に舞う。
慰めようとする友人に軽く手を挙げた美童は、一通り砂浜を見渡すと早速別のターゲットを見つけ、いつものように髪をなびかせ歩き始めた。
これ以上ここにいると笑顔を保てなくなる。
自分の魅力に気付かない女など、端から相手にしてはいけないのだ。

安っぽいプライドで己の心を立て直した彼は先日二十歳を迎えたばかり。
相変わらず見栄えの良いペットとしての立ち位置を瓦解出来てはいないものの、アクセサリーとしての能力は充分に備わっているわけで………
恐らくは求められる夜のお勤めも、以前よりスキルアップされていることだろう。
節操なく行われるガールハントの成果は、着実に実を結んでいた。


ともあれ………今回は珍しいことに清四郎がモテている。
男でもないオカマでもない、生粋の美少女に。
だが「恋」という言葉ほど彼に似つかわしくないものはない。
確かに見た目は凛々しい青年だが、普通の女ならば敬遠するのが当然である。
理由として、凡人では太刀打ちできないであろう高スペック。
彼の専門的かつ知的な会話についていける女は数少ないはずだ。
言うに及ばず性格は難ありで、とてもじゃないが甘やかしてくれそうもない。
自分の趣味に没頭すると時間も忘れてしまう、どちらかといえば融通の利かないタイプ。
こんな男を選ぶ女は………むろん、皆無である。

ただ若さというものは暴力的なまでに真っ直ぐで、多少の欠点などはねつけてしまうパワーを秘めているのかもしれない。
若くて美しい真結は、青春の扉を開けたばかり。
自分の美しさを熟知している彼女が、恋する相手への猛アプローチを躊躇う理由など、一欠片も必要としなかった。

体当たりの接近戦を心がけ、男の気持ちを揺らす為、恵まれたボディを使う。
屈託のない笑顔と、程よい媚び方。
紫外線を弾き返す白い肌は、男たちの視線を釘付けにする。
飢えた狼にとって、まさしくこの上ない御馳走である。

だが、菊正宗家の遠縁にあたる彼女を、肝心の清四郎は“女”として見ていなかった。
最初の内はこれもつき合いだと諦めていたものの、今はもう迷惑とすら感じてる。

相手は15才。
当然子供だ。
精神的にも幼い彼女に、これっぽっちの食指も動かない。
互いの温度差はシベリアとアフリカほどあり、しかし若きパワーで押してくる真結の扱いには正直頭を痛めてる。
思うがまま、邪険に扱えば大人気ないと総スカンを食らうこと間違いなしだろう。

日本よりもアジア圏で長く暮らしてきた真結は、聖プレジデント学園高等部に進学する為、帰国した。
そして今現在、一時的に菊正宗家の居候となっている。
遅れて帰国する両親が、都内で新しく家を購入するまでの間だ。

いわゆる帰国子女。
四カ国語を操る才女でもある。
入学したばかりの真結はその容姿もあってか、当然のようにモテていた。
まだまだ青い少年達にとって、彼女の大人びた雰囲気が初な心を惑わせるのだろう。
もちろん真結のターゲットは決まっているので、ほかの男など歯牙にもかけない。
袖にした男たちは二桁に上っている。
青春のほろ苦さを味わう若者は日に日にその数を増やしていた。

 

有閑倶楽部のメンバーは全員揃って大学生となり、相変わらずの青春を謳歌している。
今回も長い夏休みを利用して、剣菱家の新しい別荘へとやってきていた。
場所はお決まりのハワイだったが、徒歩一分の場所にある白いロングビーチが売りで、皆それぞれ楽しく羽を伸ばしている。
後々、万作夫妻も合流するという話だった。

そんないつもの集まりにくっついて来たのが、この少女───月見里 真結(やまなし まゆ)である。
父は外資系商社に勤めるエリートサラリーマン。
世界を股にかける男だ。
母は三歳の息子にかかりきりの専業主婦。
裕福な家庭であるが故、『聖プレジデント学園に通いたい』といった娘の願いは二つ返事で叶えられた。
彼女の下心など想像もしないままに───

真結の元々の狙いは“清四郎”である。
祝いの席などで何度か会ったことのある利口そうな彼に、幼い彼女はいつしか恋心を抱いていた。
どことなく父に似た面差しが、よりいっそう想いを煽ったのかもしれない。
そう、彼女はファザコン気味だった。

五年ぶりに再会した清四郎は、とにかくかっこよくて、昔よりも頼もしさが増していた。
最大の敵と認識していた隣家のお嬢様も、つい先日、仲間内の一人と交際を始め、これで邪魔者は消えた!と内心ほくそ笑んでいる。
大和撫子と名高い白鹿家の令嬢が相手では勝ち目は無いと諦めざるを得なかったのだ。

目ぼしい敵は居ない。
少なくとも自分ほど愛嬌があって、男受けのする女は、彼の側には居ないはずだ。
真結は確信していた。

何よりも欲しいのは清四郎の心。
そして彼の恋人になることである。
しかし想像以上に頑なで、全くと言っていいほどこちらを振り向かない清四郎に、彼女は凹まざるを得なかった。
幼い頃からちやほやされ育った真結。
たいていのワガママを叶えられてきた彼女にとって、清四郎の態度は腑に落ちない。

────真結ほど可愛い子に迫られたら、ふつう喜ぶよね?

自分の若さと美貌に自信を持つ彼女は、本気で首を傾げる。
特定の相手は見当たらないし、決して同性愛者というわけでもなさそうだ。
もちろんポーカーフェイスを気取る彼の本心までもは見えないが、少なくとも恋をしている様子はなかった。

となると、攻めの一手である。
だが、若さ故の過ちか。
真結は手管を間違えていることに気付かず、ただただ強引に迫っていた。
魅力的と信じて疑わない瑞々しいボディで、暴力的なまでのセクシーアピールを欠かさない。

反面、清四郎の苛立ちは募っていくばかり。
興味もない。
だいたい誰が好き好んで親戚の娘に手を出すというのか。
居候させている親の手前、厳しい態度で接してこなかった彼だが、そろそろ我慢の限界を迎えつつある。

それに下手な誤解など与えたくないのだ。
特にあの野生児には───

「せーしろー!パラセーリングの予約時間だぞ!」

「今いきます!」

派手なオレンジ色のビキニは悠理によく似合っていた。
ホルターネックタイプのちょっとタイトな水着。
凹凸は寂しくとも、均整のとれた肢体はまるでモデルのように魅力的だ。
色気こそ皆無だが、太陽の下、この青い海には驚くほど相応しい。

「清四郎君!!真結も連れてって!」

「残念ながら定員オーバーです。おとなしくバナナボートで遊んでいてください。」

真結は頬を膨らませた。
ふて腐れる顔すら超ド級の可愛さだ。
そしてそれを自身で知っているからこそ、惜しみなく艶やかな唇を尖らせる。
もちろんこんな色仕掛けで清四郎の心が動かされることはないが。

 

「ねぇ、止めときなさい、あんな男。泣かされるだけよぉ?」

見かねた可憐がそっと助言する。
ボディバランスといい、色気といい、真結に太刀打ちできるのは彼女くらいだろう。
豊満な胸は白いビキニに覆われ、細い腰から伸びるなだらかな曲線の脚は薄いパレオに包まれていた。
赤く輝く爪の先にまで気合を感じる。
持ち前の色気は国境を越え、先ほどから声をかけてくる褐色肌の現地青年たちは喉を鳴らしながら、あからさまな誘い文句を口にする。

軽く見られたものね……と可憐はそれを一蹴。

慣れたものである。

「可憐さんは清四郎君のこと、好きじゃないんですか?」

真結のチェックは可憐にも差し向けられた。

「ないわぁ……。友達としては認めてるけど、男としてはちょっとねぇ。だって性格悪すぎるんだもの。」

「性格………悪いの?清四郎君が?」

何も知らない初な瞳で追及され、可憐はたじろぐ。
恋に猪突猛進だった過去の自分をみているようで、どうもやりにくい。

「悪いというか……その、悪知恵が働くというか、ひとでなしというか。………とにかく!普通に恋する相手じゃないってこと!」

ひどい言いようだがそれは真実。
清四郎のような冷血漢と恋に落ちるなんて、まったくもってあり得ない話だ。
可憐は、わざと大げさに首を振った。

「でも、真結はそれでも……清四郎君がいいんです。意地悪されても、嫌いになんて絶対になれないから。」

ずいぶんと厄介な恋に落ちちゃったのね。

可憐はため息を吐く。
ただ、可憐には解っていた。
清四郎が真結の気持ちに応えることは、万に一つも無いということを。
清四郎が今、自分の気持ちの方向性に悩んでいることも、実は知っていた。
確信の持てない感情に悩まされていることを、可憐だけは気付いていたのだ。

「見込み……ないと思うんだけどねぇ。」

そう告げたところで、真結の気持ちが変わるわけでもないだろう。
可憐も今はただの傍観者。
清四郎があの野生児へ特別な思いを抱くなんてこと、本来なら信じたくもない。

──────確かにお似合いではあるんだけどさ。

とはいえ、最近交際を始めた野梨子と魅録に比べれば、イマイチしっくりこない。
恋愛という二文字があまりにも遠すぎる二人だからだ。

「ま、面白くはなってきたけどね。」

果たして真結という駒がこの先どう動き、どんな波乱をもたらすのか。

退屈の虫を飛ばしてくれそうな美しい少女の横顔を見ながら、可憐は艶めいた唇を静かに持ち上げた。