遠い島の小さな初恋物語(2)

次の日もまた、島は最高の天気で六人を迎えてくれた。
魅録と悠理は紺碧の海に潜るため、チャーターしたヨットへ飛び乗る。
もちろん、芝田が手がけた大型ランチボックスを抱えて、だ。
野梨子と可憐は島にある唯一の売店を訪れ、それぞれお気に入りの麦わら帽子を購入した。
陽射しが思ったより強く、紫外線対策が必要だったから。
まだまだ若いが今からのケアは怠ることができない。

美童はというと、早朝からどこかへ電話をし、嬉しそうな声で会話していたが、誰一人として興味は示さない。
恐らくお気に入りのガールフレンドをこの島へ呼び出す計画でも立てているのだろう。
彼にとってリゾートと女は切っても切り離せない関係なのだから。

そして清四郎は………芝田の淹れた珈琲を味わいながら、海の見えるテラスで本を読んでいる。
キラキラと光る波。
日本と違い、乾いた風が心地よい。
大学部に入ってから多忙な日々を過ごしてきた彼にとって、久しぶりのリラックスタイムであった。

 

「相変わらず生意気な顔してるな。」

レモンの砂糖漬けを仕込みながら、芝田は薄い皺が刻まれた口角をあげる。
幼い頃の清四郎を知る彼にとって、今でも昔の感覚のまま、からかう癖が残っていた。
しかしそんな芝田に清四郎は慣れたもので………

「芝田さんも相変わらず………お元気そうですね。」

皮肉の一つも交えたくなるのを堪え、大人な対応を見せた。

「で?進路はどうするんだ、この先。修平の跡を継ぐつもりはなさそうだが……」

仲良し二人はメール友達でもある。
事情が筒抜けなのは今更のこと。

「お陰様で、姉貴の方がやる気満々ですし、僕は好き勝手させてもらいますよ。」

「ははは!さすがはお坊ちゃま。自由だな。まあ、おまえなら何とでも生きていけるだろうが。」

皮肉とも賛辞ともつかない言葉で頭をくしゃっと撫でられても、清四郎は不快に思ったりしない。
恵まれた環境にいることは、誰よりも自分が一番解っている。
そしてそれを赦してくれる家族が尊い存在だということも。

「ところで………」

清四郎は空気を変えるべく咳払いした。

「わかっていると思いますが……僕の友人に手を出したりしないでくださいね。どうせ本気にならないんでしょうし、適当に遊ぶ相手なら別に見繕ってくださいよ。」

「おいおい。おまえ、俺をいくつだと思ってるんだ。」

「おや?………フランスで、20才の女子大生とお付き合いしていたことは父から聞いていますが?」

ゴホッゴホッ!

筒抜けなのはお互い様。
咽せる芝田は慌ててコーヒーを口にしたが、誤魔化すことも否定することも出来なかった。

「俺ももう年だ。………そんな精力的に狩りは出来ないさ。」

「それなら結構です。」

彼の言葉を鵜呑みにしたわけではない。
が、ひとまず釘を刺したことで、清四郎はまた読書に戻ることができた。

柔らかな風が通り抜けると心地よい。
この島は、本当にいいところだ。

 

その日の夕方………
小さなトラブルが舞い込んできた。
美しい海中を堪能していた悠理が、枝の張りだした珊瑚で太股を負傷してしまったのだ。

流れ出す血。
傷はわりと深く、魅録のタオルで止血したものの、悠理は痛い痛いと喚く。
ヨットの中にはまともな救急セットもない。

「清四郎!いるか?」

魅録は即座に島へと帰還し、医学の心得を持つ親友の名を呼ぶ。
しかしその時、誰よりも早く二人を出迎えたのはオーナーである芝田だった。

「どうしたんです?」

「あ、こいつ……怪我しちまって。」

魅録に背負われた悠理は痛みからか顔色が悪い。
芝田はバトンタッチするように悠理を受け取ると、直ちにロビーのソファへと横たわらせた。
そして水着から伸びる細い足をそっとクッションに乗せる。

「む………わりと深いな。」

魅録の手で止血こそされていたが、中指ほどの長さがある傷はパックリ開いたままでいる。
そう簡単に閉じてくれそうもない。

「いてぇよぉ………」

涙ながらに訴える悠理の頭を、芝田は優しく撫でながら、「少し縫うことになるが、大丈夫。痕は残らないと思うよ。」と慰めた。

その後、太股に局部麻酔を施した芝田は、傷口を見事なまでに美しく縫合した。
所用時間、わずか五分。
魅録もびっくりな手際の良さだ。

「随分と手慣れてるんですね。」

「昔はこのくらいの怪我、日常茶飯事だったからね。」

包帯を巻き終えた芝田は、喚き疲れた悠理を再び抱え上げ、寝室へと運ぶ。
悠理も何故か、借りてきた猫のように大人しい。

そこへようやく読書を終えた清四郎がやってきて、「いったい何事だ?」と顔をしかめた。

「怪我の程度は大したことないが、もしかすると夜、発熱するかもしれない。清四郎、解熱剤持ってるだろ?」

「え、ええ。」

頭痛、胃痛、二日酔い。
旅先で派手に遊ぶ仲間のため、清四郎のトランクにはいつも大量の薬が常備されている。

「なら問題ない。じゃ、後は任せるぞ。」

そう言って芝田が水着姿の悠理を静かにベッドへ下ろした時、清四郎の胸が不意にさざ波を立てた。
痛みを訴える悠理と、それを優しく宥める芝田。
何故だろう。
何とも形容しがたい不快感。
胃の奥がギリギリと痛む。

…………なんだこれは?

たった数瞬の光景が、二人を親密な男女に見せ、清四郎の心をざわつかせる。
女の色気など持ち合わせていない悠理がいつになくか弱く見え、父親ほどの年齢の男が、まるで彼女の恋人のように振る舞った気がしたのだ。

「せぇしろー!なにボケッとしてんだ?早く痛み止めくれよ!」

「………はいはい。今持ってきますよ。」

頭に残った愉快でない違和感。
悠理の注文を引き受けた清四郎は、それを振り払うように何度も自分のコメカミを小突いたが、解消されることはなかった。

生まれてこの方恋に落ちたことのない男は、この小さな南の島で初めての経験をする。

神の悪戯か、はたまた天使が放つ運命の矢か。
吉凶の行方は、どれほど優秀な清四郎とて、今この時点で知り得ることは出来なかった。