あの夜から五日が経つ。
彼からの連絡はまだ無い。
まだ?
いや、これはもう諦めるべきなのね。
しかしそう簡単に諦めきれない男の名刺はドレッサーの上に置かれたまま。
客としても、男としても、彼に心惹かれてしまう現実。
あの後――
彼らを見送った直後、ハルカは言った。
『なんかぁ、手強そうなお客さんでしたねぇ。』
彼女にしては鋭い。
でも私には勝算があったのだ。
少なくともあの時は―――。
名刺には彼の会社の番号と、恐らくは仕事用の携帯が記されてあった。
―――どうする?晃子(あきこ)
しつこく迫るような鬱陶しい女にはなりたくない。
ただでさえ、借金持ちのホステスだ。
個人的には無理でも、客とホステスの関係で会えるのなら、それはそれで満足すべきなのだろう。
しかし数秒後、私は首を大きく横に振る。
―――そんなのは大嘘だ。
会えば会うほど、きっと欲しくなる。
たとえ可愛い奥さんが居たとしても、愛人にしてくれと請い縋るだろう。
一度きりで良いからと、浅ましく身を投げ出すだろう。
自分でも不思議だった。
どうしてこんなに心を奪われてしまったのか。
一目惚れなど、今まで信じて来なかったはずなのに・・・。
痛いほど思い知らされたこと。
それは私がプロのホステスとして失格だということ。
けれど、彼との繋がりはあの店にしかない。
だからそう簡単に辞めることは出来ない。
そんな細い糸を頼りに、私は今夜も冷たく光るネオンの街を歩く。
店に入れば、いつもの常連客の顔。
視線を巡らせ探してしまうのも、日課になりつつあった。
「アキちゃん。ほら、熊谷さんがいらっしゃってるわ。席に着いて頂戴。」
熊谷建設の社長は、いつも私を指名してくれる上得意だ。
金払いはいいが、いかんせんすぐに口説き始めるので、遣りにくい相手ではあった。
それでも客は客。
私は気合いを入れて、席に座る。
「いらっしゃいませ。熊谷様。」
「アキちゃん、待ってたよ!ほら、ここに座って!」
腕を引かれ、強引に寄り添わされる。
これが『彼』なら・・・・そう思ってしまうのは仕方のないこと。
肌が触れあうことを嫌がっていては仕事にならない。
「今日はボトルもどんどん入れちゃおう!」
「あら、何か良い事でも?」
「そ!良いこと!」
40代半ばの熊谷社長は建設業界では風雲児と名高い。
女にはだらしないが、仕事っぷりの方はなかなかという噂だ。
その社長がここまで機嫌が良いということは、よほどの事だと勘付いた。
「いやぁ!やっと剣菱の仕事が取れたよ!」
―――剣菱??
「剣菱・・・ってあの剣菱ですか?」
「そう!あの剣菱。今度東京湾の埋め立て地に大きなドームを作るんだけど、その受注をうちの社員が頑張ってくれてね!目出度いだろう?ほら、何でも好きなの頼んで良いから。」
ヘルプに付いていた女の子たちが騒ぎ出す。
次々に並べられるシャンパンやフルーツ。
けれど、私の頭の中は彼の事で埋め尽くされていた。
「なかなか手強かったんだけどね。あっちにはちょーっと厄介な奴が居るからさ。剣菱清四郎って男で・・・・・・・・」
胸が高鳴る。
まさかその名が彼の口から出てくるとは思わなかったから。
「ハルカ、知ってますよぉ。この間ぁ、その人のテーブルに着いたんですぅ。」
「へえ、彼もここの客か。男前だったろ?ハルカちゃん惚れちゃったんじゃない?」
「かっこよかったですけどぉ。でもハルカは社長のほうがタイプかなぁ。」
「嬉しい事言ってくれるねえ。ほら、どんどん飲んで!」
私の膝を撫でながら、男は勢い付く。
その不快感を押し殺して、私は笑う。
会いたい・・・
彼に会って、もう一度、あの黒曜石のような瞳に映りたい。
高鳴ったままの胸は、酒の勢いでどんどんとヒートアップする。
「ねえ・・アキちゃん。今夜アフターに誘っても良い?」
「今夜、ですか・・・。」
「美味しい店、見つけたんだよ。」
「いいだろ?」・・・といつものように誘って来る男の酒臭い息が、吐き気を催すほど気持ち悪く感じた。
「熊谷様・・・ごめんなさい。お誘いはすごく嬉しいんですけど今日は少し用があって・・・」
「ええ・・・ほんとに?残念だなあ。」
「その代わり・・今度・・・・」
そこまで口にして、ふと思い立った。
そうだ・・・彼を同伴に誘ってみよう。
自然に、少し困った様子を見せて・・・・。
ああ、なぜ今まで思いつかなかったの!
「今度?」
「ええ・・・次回、是非。」
私は、今宵一番の極上スマイルを、隣の男に惜しげ無く見せた。