狐の婿取り~第九話~

 

悠理が清四郎の屋敷で過ごすようになって五日ほどが経つ。
着物も食べ物も、不足なく用意され、それはまさしくお姫様待遇であった。

使用人として連れてこられた魅録が清四郎と顔を合わせることは稀だったが、日中どこかしらへ出かけている雇い主の足取りを追うつもりは毛頭なかった。
彼の役目はあくまで悠理を護ること。
限られた人間しか出入りできない寝所で、彼女の暇つぶし相手を適当にこなしていた。

「うーん、囲碁って難しいんだなぁ。」

「おまえさんの頭じゃ、ちょっと無理かもな。」

どう見ても逆転出来ない碁盤を見つめながら、悠理は不貞腐れる。

「母ちゃん達に言われ慣れてるけど、改めて聞くとムカつくな。」

馬が合うというのだろう。
二人は兄妹の様に心を開き、居心地のよい関係を築いていた。
清四郎もそれは認めていて、魅録の存在を頼もしく思っている。
もちろん指一本触れてはならない。
男として接することは強く禁じられていた。

「んで?ここでずっと暮らすのか?」

早々と囲碁に飽きた悠理が次に遊び始めたのは貝合わせ。
これなら知能は必要ない。
直感だけがものをいうゲームだ。

魅録の問いに無言で片貝を摘まんだ後、外れたそれを弾き飛ばし、悠理は溜息を吐いた。
何とも答えがたい質問である。
希望と現実が折り合わないと解っているからこその憂鬱。

「清四郎が、あたいを離さないって言ってくれて嬉しかったけど、心の片隅ではやっぱ怖いんだ。だって………」

そう。
自分たちの行動が火種となり、妖狐の里と朝廷が全面戦争に突入でもしたら、それこそ一大事である。
家族や仲間に犠牲が出るやもしれない。
あの温かな村へ二度と戻れないかもしれない。
日に日に腹の中で大きくなる我が子を何処で産み落とすべきか、という迷いもある。

でも………

清四郎と離れることは身を引き裂かれるような痛みを伴う。
たった数日でも苦しかったのだ。
あの男の腕に包まれ眠ることが、自分をどれだけ満たしてくれるか。
悠理はイヤというほど思い知らされていた。
それなのに、またしても離れるなんてことが出来るのだろうか?

「わりぃ。変な質問しちまったな。とにかく今は元気な赤子を産むことだけ考えりゃいいさ。何せここには飯も酒もたんとある!飢える心配はねぇ。」

魅録の前向きな明るさは悠理にとって心強いものだ。
見知らぬ屋敷で一人、不安と闘うなど、とてもじゃないが我慢出来なかったはず。
これも清四郎の采配のおかげ。
悠理は自分が彼の大きな愛情に守られていることを痛感していた。

 

その頃………

清四郎は義兄である帝のもとへ出向いていた。
とはいえ、帝も日中は忙しく、たとえ弟であってもなかなか二人きりにはなれないものだ。
お窺いを立て、三日目にしてようやくその時間が生まれた。

昔から兄弟仲がよく、優しすぎる義兄を陰で支えてきた清四郎は、朝廷でも一目を置かれる存在だ。
無論、それをよく思わない輩もいる。
御しやすい兄帝に比べ、弟は隙のない切れ者。
不相応な権力を手に入れようとすれば、必ずそれを阻まれる。
人一倍、悪事に目敏い男なのだからして、それならば自分の娘を差しだし、取り込んでしまえばいい………というのが、野心溢れる貴族の考え方である。

清四郎はそういう対象としても抜きんでた存在である。
見目麗しい公達というだけなら他にも居たが、彼ほどの頭脳を持つ男はなかなか居ない。
それも帝の弟。
少しでもお近付きになりたいという願望は誰しもが持っていた。

 

「それで………話というのは?」

人払いした自室に弟を招き入れた帝は、用意された唐菓子を摘まみ、それを清四郎にも勧めた。
貢ぎ物の中の一つらしい。
有り難く頬張れば、程良い甘さが口一杯に広がった。

朝夕冷える時期ということもあり、傍らには火鉢が置かれ、既に炭が熾されている。
餅でも持参すべきだったな、と清四郎は思ったが今更であるため、
早速、本題に入ることにした。

「実は先日、屋敷に妻を迎えました。」

「それは、許嫁殿とは別の……という意味か?」

「はい。」

難しい顔を作る兄帝の気持ちはよく解る。
許嫁である野梨子姫は、帝にとっても可愛い妹のような存在であった。
本来なら女御として迎え入れてもおかしくない家柄。
しかし帝は年の差を考え、清四郎の許嫁になることを提案したのだ。
何より野梨子は清四郎に懐いていた。
二人の間に出来る子ならば、さぞかし聡明で美しいだろうと期待していたのだが─────

「腹には子もいます。私はもう、彼女だけで充分です。どうかお認めいただけませんか?」

頭を垂れ、美しい弟は懇願した。

「と、とにかく頭を上げよ。お主のそんな姿は見とうない。」

どうやら本気で娶るつもりらしい。
子まで授かったとなると、無碍には出来まい。

帝は深く長い溜息を吐いた。

「ちなみにその者はどこの姫君であるか?さぞや高貴で美しい………」

「いえ。我が妻は妖狐。我々とは違う、人ならざる者です。ただ美しさについては帝の仰るとおり、見事な容姿をしております。」

この言葉にはさすがの兄も閉口する。

妖狐だと?
いったいぜんたい、どういう切っ掛けでそのような出会いが────
我が弟は妖に騙されているのではないか?
いやしかしこの様子だと、本気で妻にしようとしている。
これは一大事であるぞ。

暫く沈黙していた帝であったが、居住まいを正し、清四郎を真っ直ぐに見つめた。いつになく厳しい視線で。

「清四郎。」

「はい。」

「そなたは己が立場を理解しておるか?」

「………はい。」

「ならば、正妻に妖狐の娘を迎え入れることが出来ぬこともわかるな?」

「………仰る事はわかります。しかし私は!」

「そなたの妻はこの私が決めた。覆ったりはせぬよ。少し早いが、今年中に野梨子姫を屋敷に呼び、早々に子を作り、幸せな家庭を築くが良い。反論は許さぬ。その狐の娘は………別宅にでも住まわせ、それ相応の生活を送らせればよいではないか。」

「帝…………」

清四郎はその理知的な瞳で義兄に再度懇願する。
しかし答えは同じだった。

「こればかりは我とて、どうにもできん。臣下の手前、そなたの我が侭を聞き入れることは到底…………」

痛みを耐えるよう横を向く。
最後通告を受けた清四郎は、深々と頭を下げ、「お暇します。」といつもの涼やかな声で挨拶を終えた。

正攻法で上手くいくはずはないと承知の上で、敢えて義兄と対峙したのだ。
ある程度予想していた結果だが、まさか直ぐにでも野梨子を屋敷に招き入れろとは……さすがに想定外である。
恐らくこの話は、今日中に野梨子の両親へと通達されるであろう。
となると近々、正式なやり取りが行われることは目に見えていた。

「それならそれで、我が身分を捨てれば良いだけの話。覚悟などとうに決まっている。」

内裏を後にした清四郎は、愛しい女の待つ屋敷へと馬を急がせた。