第二話

幽霊は居た―――
という報告は次の日、ミセス・エールに伝えられ、引き続き調査&除霊に向けて動くこととなった。

姿を見た4人は、それが確かに「さゆり」であったことを告げる。

「しっかしなぁ。なんであの部屋なんだ?ただの資料室だろ?」

魅録は絞められた痕を擦りながら首を傾げた。

「彼女にとって、何か因縁がある場所なんですわ。」

こういった騒動にも慣れてきたのか、野梨子はいつになく冷静だ。

「自殺した場所でもなく因縁ねぇ。取り敢えず腕の良い霊媒師に話はしましたが、聞き分けのない悪霊になっていると厄介らしく、あまり良い顔をしませんでしたよ。明後日には北海道から駆けつける手筈を整えましたが。」

清四郎の発言を聞き、美童が思い当たったように口を開いた。

「彼女、美人だったからさ。きっと男関係でトラブルがあったんじゃないかな?」

「トラブル?資料室でトラブルって何よ?」

可憐が呆れたように視線を流す。
美童の勘は、時折驚くほどの鋭さを見せるが、今回ばかりは憶測の域を出ない。

「あの部屋、中から鍵もかかるし基本密室だよ?解るだろ?僕の学部でもそうなんだけどさ。逢瀬を楽しむ恋人達にはもってこいのスポットなんだよね。」

意味深な笑みと共に片目を瞑る美童は確信があるのだろう。
実体験に基づいて・・・。
可憐は苦々しい面持ちで反論しようとしたが、清四郎がそれを封じるよう口を挟む。

「ふむ。では美童の言葉を信じて、彼女の異性関係から調べるとしますか。」

『ほい来た』と、ばかりに美童は立ち上がった。

「あんたねぇ。調査にかこつけてナンパばっかりしてんじゃないわよ?仕事は素早く!解ってるわね?」

「もちろん。すぐに有益な情報を手に入れてくるよ!」

金髪を翻(ひるがえ)し、部室を後にするその足取りは蝶のように軽かった。

「さて。」

清四郎は仕切り直しとばかりに指を組む。

「あの霊は想像以上に力が強い。亡くなってまだ日も浅いというのにあそこまでの怨念をもつとは……。本当に自殺だったのか、そこも一つの疑惑ですな。」

ちらりと目配せした先は、当然魅録だ。

「よし、わかった。調べてみるとするか。」

警察の内部資料を難なく手にすることが出来る男は、ニヤリと笑って見せた。

「頼みます。それと可憐、」

名指しされた可憐は紅茶を啜る手を止める。

「なに?」

「念のため、この騒動の出所となった人物に話を聞いてもらえますか?」

「オーケー。男相手なら可憐さんに任せなさい。」

色気ある流し目で自信たっぷりに言い放つ彼女の実力は確かだ。
相手がゲイでもない限り、可憐の色香と話術に惑わされぬ男など居ない。

「一体、何を聞き出したいんだ?」

つまらなそうにクッキーをかじっていた悠理は清四郎を窺う。

「この騒動を解決したがっている人物が、彼女と何かしらの関係があるのではないかと思いましてね。」

「幽霊をなんとかしろって言った奴?」

「ええ、まぁ。まだ憶測の域を越えませんが―――。」

清四郎は考え込んだ様子だったが、すぐに辺りを見回し、こう告げた。

「この事件を解決できたら、大学部も僕たちにとって更に居心地の良い場所となりますよ。」

「清四郎、貴方、ミセス・エールと何か約束を交わしましたの?」

察した野梨子の質問に、いつもの笑顔で対峙する。

「後々のお楽しみです。」

「また、それかよーー!」

皆の意見を代弁したのは悠理だったが、清四郎は意味深な笑みを浮かべたまま、口を開くことはなかった。

「悠理。」

帰り支度を始める悠理に、清四郎は声をかけた。

「なに?」

「ホットドッグの旨い店があるんですが、どうです?」

「え?ホットドッグ!?」

好き好き!………といつものように飛び付こうとしたが、ハタ、と動きを止める。

「な、なんか企んでるな!おまえ!」

「人聞きの悪い。まあ、お願い事はありますが、ね。」

「それを企んでるって言うんだ!やだぞ!どーせまた、幽霊と話せとかそんなとこだろ?」

猜疑心の塊で叫べば、清四郎はやれやれと首を振る。
心の中で舌打ちしながら。

「もう一度資料室へ付き添って欲しいだけですよ。今度は明るいうちに。」

「昼に?」

「ええ。」

昼ならば・・・・まだマシかな?

お馬鹿な悠理はそう考えを巡らせるが、昼の日中から酷い目に遭ってきた経験もあるのだ。
決して油断できない。

「おまえが魅録みたいに首締められても・・・あたい助けられないじょ?」

「その時は放置して逃げなさい。」

……んなこと出来ないから言ってんじゃん!馬鹿!
という言葉を飲み込んで、悠理はフイと顔を背けた。

「いいよ・・・・一回だけなら。」

「OK、では早速行きましょう。」

「え・・・・!?今から。」

「まだ明るいでしょう?大丈夫、きっと何も起こりませんよ。」

何の根拠もないまま悠理を伴い、再び件の場所へと向かう。
それが後々後悔する羽目になるとは、この時の清四郎は想像もつかなかったのである。

昼間の資料室は前回とは違い、明るい日が差し込み、別段何も怪しい雰囲気はなかった。
張り紙もそのままの扉。
清四郎はドアノブに手をかけ、カチャリと音を立てる。
悠理はそわそわと目を泳がせ清四郎の背中に隠れているが、前回の悪寒は感じられずホッと息を洩らした。

「ふむ・・・・」

資料室はスチールの棚が何本も並ぶ、無機質な空間だった。
確かにいまだ多くの資料が残存している。
カーテンがひかれた窓際には簡素な応接セットが一組。
どこかで邪魔になったものだろう。
窮屈そうに押し込められていた。

「・・・・別に変わった様子はありませんね。彼女が何故ここに居着いているのか、検討がつかないな。」

棚にある資料は清四郎の興味を惹かないらしい。
視線を流しながら順番に素通りしていく。
悠理は幽霊が出た場所にもちろん長居したくない。
「ねえ、もう行こうよ。」とせっつくように何度も進言していた。

「ん?」

清四郎は壁面に聳えるスチール棚の向こうに何かを見つけた。
その棚だけは不思議と物が少なく、簡単に動かせるくらい軽そうだった。
背面板がないタイプの為、別の扉の存在が容易に見て取れる。

「こんなところに扉がありますよ。」

棚を軽々とずらし、引き戸であるそれに手をかけた。
瞬間、悠理の肌がぞわっと恐怖に粟立つ。
前回の様な危険信号が再び訪れたのだ。

「せ、せいしろ・・・開けんな!」

しかし彼の素早い動きは止められない。
開け放たれた直後、薄暗いもう一つの空間から飛び出てきた悪霊の姿を、悠理の目はまともに捉えた。

「ひ・・・ひぃ・・・っ!!」

恐ろしい目でこちらを睨み付けているが、霊感のない清四郎には届いていない。
それは、間違いなく「吉久保さゆり」である。

「悠理!?」

振り向いた清四郎の焦る声。
しかし凝固したように動かない身体を、悠理自身どうすることも出来ない。
女は風の様に悠理へと近付き、微かに嗤う。
その意味深な笑みの後、悠理の意識は瞬く間に途切れた。



身体が重い。
誰かがのし掛かっているのだと解ったのは数秒後のこと。

黒くて重い。
はぁはぁと生暖かい息が首元にかかる。
嫌悪感が否応なく湧き上がるが、身体はぴくりとも動かない。

「・・・ああ・・・たまらんな。さゆり・・・」

あたいは悠理だ!
そう思って口を開こうとしても、声が出せない。
よくよく目を凝らせば、それは中年の男。
少々恰幅の良い、髪の薄い男だった。
影でしかなかったその人物の輪郭が徐々に明らかになっていく。
目元の皺から想定するに、50代に差し掛かったところであろうか。

薄暗い印象の目をしていた。
自らの意思では動かない身体が、その男の手では簡単に持ち上げられる。
手も、脚も、腰も・・・・。
なめくじの様に這う唇が不快で仕方ない。

『気持ちわりぃ!!なんだ、この親父!』

脳内で悪態を吐くが相変わらず音にならない為、悠理は現状を把握しようと躍起になった。
先ほどから考えるに、これは自分の身体ではない。
ちらっと見下ろしたところ、大きな胸の膨らみが見えた。
自分にはそんな理想的な二つの山はないのだ・・・。
ちょっと悲しい現実に意気消沈していたら、男はとうとう着ている服を脱ぎ始めた。
たるんだ身体が徐々に露になっていく。

『ぎゃあ!!こいつもしかして・・・!』

鈍感すぎる悠理は、そこでようやく何が行われようとしているのかを把握した。

『待て・・・、待て・・・ちょっと待てぇ・・・・!』

悲痛な叫びも脳内だけ。
自分の身体じゃないからといって、我慢出来るはずもない事態だ。

『あたい、どうなってんだよ?清四郎、清四郎!助けろーーー!』

頼りになる男の名を呼ぶが、現状は少しも改善されない。
意識だけはバッチリこの身体に入り込んでいる。
もちろん感覚も伝わってくる為、とてもリアルな不快感だ。

「今日も可愛がってやるからな。」

男の猫なで声に吐き気がする。
胸を揉みしだかれ、脇腹をくすぐるように撫でられた時、悪寒は容赦なく襲ってきた。

『やだ、やだ、やだ・・・!なんでこんなヤツに!!せいしろ、せいしろぉ!!』

どうせなら意識を失いたい。
そう願って目を瞑ろうとするが、それすら不可能なのだ。
脂ののった男の身体に、ただひたすら翻弄されるだけ。
興奮のせいか、息を荒くした男は慌ただしく下着を脱ぐ。
見たくもないのに視線が泳ぎ、視界に飛び込んできた男のソレは、悠理が想像していたよりもずっとグロテスクなものだった。

『ぎゃあーーーー!!!たすけて!やめろーーーーーー!!』

擦りつけられる感触に目が眩む。
悠理は渾身の力で心の目を閉じようとした。
そして、思い浮かべる。
いつも必ず助けてくれる、たった一人の男を。

せ、い、し、ろ、う・・・・

ふっと解き放たれた身体が、誰かの腕に抱えられていると気付いた時、悠理はゆっくりと目を開いた。

「悠理!大丈夫か?」

「せぇしろ・・・?」

心配そうに覗き込まれるその黒い瞳に、心から安堵の溜息を吐く。

「ああ・・・戻れたんだ・・・」

極度の緊張の所為か、背中は汗でびっしょり。
唇も小刻みに震えていた。

「どうした?何があった!?」

「・・・・・あたい、襲われそうになった。」

「どういう事です!?」

清四郎の逞しい胸の中で何度も深呼吸した後、悠理はようやくポツポツと話し始める。
それを聞いている男の顔が苦渋に歪んでいく様を見ても、恐怖を吐き出すことを止められなかった。

「・・・・気持ち悪かった。」

最後にそう告げた悠理を、清四郎はギュッと抱きしめる。

「悪かった、悠理・・・・悪かった・・・・僕の所為だ。」

「・・・・う、うぅ・・・ひっ・・・く・・・」

全てを吐き出した事で心の緊張が解けたのだろう。
悠理は子供のように泣き始める。

「うぇーーーん・・・怖かったよぉ・・・せいしろぉ・・・・!!」

「悠理・・・!」

いつかのように優しくあやすなんて事は出来なかった。
深い後悔と共に、ただ強く抱き締めるだけ。
清四郎は涙の一滴を唇で吸い取ると、己の愚かさに血が出るほど奥歯を噛み締めた。