後編

カシャン……

悠理は物音がした方向へと慌てて振り向く。
折角娘が寝入ったと言うのに一体何の嫌がらせだ、と怒りを交えて。

それは隣室にある、清四郎の書斎から聞こえてきた。
愛娘がしっかり眠っていることを確認した悠理は、そっと寝室から抜け出し、書斎の扉を軽くノックする。

「せいしろ?帰ってる?」

いつもの優しい返事がない事に気を悪くし、そのまま思いきり扉を開けると、20畳ほどのそこは緑色の小さなテーブルランプが灯った薄暗い空間。
重厚な調度品すら見えず、テラスへの大きな掃き出し窓に凭れた夫の背中は、闇に消え入りそうなほど暗い。

…………あれ?何かあったのかな?

言わずと知れた愛妻家である夫は、帰宅すると必ず悠理を抱き寄せ、嬉しそうに挨拶をする。
それを出迎える悠理も、’会いたかった’と素直に告げることで、彼の働きを労ねぎらっていた。
ごくたまに、こうして不機嫌な時もあったけれど、悠理の言葉に返事をしない清四郎は初めてだ。
不安を駆り立てられ心拍数を上げた悠理は、それでも部屋へと足を踏み入れる。

「……せぇしろ?」

「悠理。」

静かな声。
今初めて妻の存在に気付いたのか。
緩慢に振り向いた彼の目には、何故か獰猛な光が宿っていた。

「ど、どうしたんだ?」

慌てて彼の元へ向かおうとした悠理を「来るな!」と制する夫。

「済まない。そこにグラスが落ちているんだ。危ないから来ては駄目です。」

見れば確かに破片となったブランデーグラスが、仄かな光でキラキラと輝いている。

「今、メイドに片付けさせるよ。」

そう言ってそれらを回避しつつ清四郎の元へと辿り着いた悠理は、肌を刺すようなピリピリとした雰囲気に息をのんだ。

「なぁ、どうしたんだよ?」

「なんでも……ありませんよ。」

「嘘吐け。おまえのそんな顔…………久しぶりに見るぞ?」

妻としてだけでなく、長年友人として彼の側に居たのだ。
そんな変化を彼女はつぶさに読み取る。

「悠理……」

「言ってみろよ。……それともあたいには言えないほど難しい問題なのか?」

「おまえの頭で理解出来ないことなど山ほどありますよ。」

茶化す夫の胸を拳で叩く。

「あたいはおまえの奥さんなんだから…………話を聞くだけでも出来るさ。」

(……本当に?)

清四郎は言葉を飲み込んだ。

(本当にそんなことが出来るのか?他の女に唇を奪われるという醜態を、おまえはどう受け止める?)

あの後、強引に彼女の腕を掴み取り、「痛い!」と声を上げるまで捻り上げたことは後悔していない。
離れる時に切れた唇の血は恐ろしく苦く、清四郎は怒りを滲ませながら、弓子を詰った。

「……悪ふざけにしては、酷過ぎやしませんか?」

彼女は涙ながらに首を振る。
甘い香りが更に振り蒔かれ、清四郎の頬に雫が飛んだ。

「ふざけてなんかいません。わ、私は……副社長を………心から………」

「あり得ません。」

そう断言する清四郎の声を、弓子は絶望の淵で聞く。

「もう一度言う。僕は君とどうこうなるつもりは一ミリもない。今回は見逃してやるが、二度目はないと思いなさい。」

「い、いや……です。私、副社長が本当に好きなんです!奥様に内緒にだって出来ます。だから、だから……」

縋り付く手を振り払い、清四郎は名輪に呼びかけた。

「済みません、その角で止めてください。」

「清四郎様?」

訝しむ名輪がカーテンを開く。

「少し用事を思い出したので僕はそこで下ります。彼女は家まで送り届けて貰えますか?」

「あ、はい。もちろん。」

名輪は言われた通り、十字路の角でハザードランプを点け、清四郎を降ろした。

「副社長!!」

呼び止める弓子を背に、彼は冷淡に言い放つ。

「君はあまりにも愚かです。少し頭を冷やしなさい。それに僕は妻以外欲しいとは思わない。可能性はゼロだ。」

閉じられた扉の向こうで彼女が啜り泣いていようが、どうでも良かった。
清四郎は唇を手の甲で強く拭うと、直ぐ様流れていたタクシーを掴まえ、乗り込む。
行き先はもちろん自宅だったが、背中に重くのしかかった疲労感から、本当はどこかで一杯飲みたいと思った。

(いや、駄目だな。今日は帰ろう。)

疲れた身体で深酒すれば、ろくでもない結果が待っている。
過去の経験からそれを思い出し、清四郎は締められていたネクタイを抜き取った。

(帰ろう。そして旨いスコッチを飲んで、シャワーを浴びて、悠理を抱き締めて眠ろう。)

罪悪感と失望感が入り混じった感情を、彼は帰宅後すぐに、一杯の酒で洗い流そうとした。
意外にも鋭い妻に、気付かれてしまう前に。
だが、思い出せば出すほど怒りに震える手が、とうとうグラスを床に落とし、こうして敢え無く追及を受けている。

清四郎は苦笑した。

悠理の美しい瞳が、薄闇の中に光る。
いつまで経っても、誰に対しても、真っ直ぐで、無垢で、真剣な悠理。
彼女の顔が曇るようなことだけはしたくないし、言いたくもない。

「今日の会議で……役員の一人が面倒な事を言い出しましてね。それに苛々させられたんですよ。」

「ふ~ん……そうなんだ。で?他には?」

「…………それだけです。」

清四郎の指が妻の頬をそっと撫でようとしたが、彼女は素早く身を引く。

「嘘吐き。騙されないぞ。おまえはそんな事だけでここまで落ち込んだりしない。言えよ、何があったんだ?きちんと言ってくれないと、あたいはおまえを疑いたくなる。」

その言葉に清四郎はピクリと肩を震わせた。

「どういう……意味です?」

覚悟を決めた悠理は、ポケットから小袋を取り出す。

「これ、今日メイドから渡された……。見覚えある?」

掌に乗った小さな袋には、キラリと光る一粒の雫。

「……ピアス?」

「おまえのコートに入ってたらしい。」

瞬間、彼の優秀な脳は全てを導き出した。
このピアスが誰の物で、どういう意図を持って、自分のコートに入り込んだかを。
その結果、悠理との間に波風が立つよう仕向けられたことも、十二分に理解出来た。

「まったく…………愚かな女だ。」

夫の吐き捨てるような呟きに、思わず身を竦ませた悠理だったが、清四郎はすぐさま柔らかい頬を両手で覆い、「すみません」と謝罪した。

「大丈夫です。僕はおまえを裏切るような事は何一つしていませんよ。」

「う、うん。だよな。」

「しかし、ここのところ他人の感情には愚鈍になっていたようだ。おまえと悠奈に夢中で、どこか浮かれていたんでしょうな。」

「浮かれてたんだ……はは、おまえが?仕事の鬼のくせに?」

「副社長失格ですね。」

「んなもん、失格でいいよ。あたいの旦那として、そんでもって悠奈の父親として合格なら、それだけでい…………んっ……!」

浮力を感じたと思った瞬間、悠理の身体は大きな書斎机に押し倒されていた。
ガシャ……という何かが落ちた音はすぐにどうでもよくなり、清四郎の熱い唇が全ての思考を奪い始める。

「ん……っ……!」

何度も角度を変える唇。
荒々しいキスに溺れていく彼女は、そこで初めて清四郎の首を彩るネクタイが存在しない事に気付いた。

「せ、せぇしろ……ネクタイは?」

「ああ、自分で外しました。」

それはいつも、悠理の役目だった。
選ぶ事も、結ぶことも、そして外す事も。

(何?この違和感。清四郎、なんか隠してる、よね?)

キスを続けようとする夫から強引に顔を背け、悠理は尋ねる。

「正直に言えよ!何があったんだ!あたいはちゃんと受け止めるから、言ってくれ!」

悔しそうに歪んだ顔は一瞬で、次に吐き出された答えは彼女の脳を確実に撃ち抜いた。

「キス、されたんです。部下から…………」

「え?」

「油断していました。僕の失態です。」

悠理は目の前の美しく整った唇から目が離せない。
自分の唾液で官能的に濡れる、清四郎の唇。

誰が?

あのピアスの女?

どうして?

清四郎を好きだから?

どこでキスされたんだ?

どうして、それを許したんだ?

なんで、清四郎は………………

「ば、ばっかやろう!!!!!」

悠理は夫の顔を瞬時に引きよせ、噛みついた。
皮膚が裂け、血が出ようが構わなかった。
鉄臭いソレを啜り、舐め回し、その女との感触を消し去りたかった。

「ん、ゆ……うり…………」

言葉など何の役にも立たない。
悠理は必死でそれを伝えようとする。

自分の唇をも、八重歯で噛み切った彼女。

唇と唇。
血と血。

嫉妬と怒りを混ぜ合わせながら、激しいキスをぶつける。
引き裂くようにシャツを脱がせ、滴り落ちる血を舌で受け止める。

「清四郎…………許さない。」

感情の起伏の激しさは、彼とて充分過ぎるほど知っている。

「どんな罰も…………甘んじて受け入れます。」

「言ったな?」

開けられた胸板。
濃く色付いた突起へすかさずかぶりつく悠理。

「…………っつ!!」

流れる血。
それに唾液を絡め、彼女は痛みを感じさせるほど強く啜った。

「清四郎………高くつくぞ。」

「………………はい。」



その夜、悠理は清四郎の上で激しく責め立てた。
しかし決して達することを許さず、ギリギリまで昇り詰めた彼をそのまま放置する。

「自分で処理しろ。」

冷たく言い放った後、バスルームへと消えていく妻を、息を切らしながら見つめる夫。

「悠理………」

たとえ欲望を吐き出したとて、彼の気分が浮上することは決してなかった。


 

関東圏出身の弓子は比較的大きな家で育った、所謂’お嬢様’だった。

しかし高校卒業間近、母親が急な病で他界。
事業主の片腕としてして働いて居た妻を亡くし、夫は酒に浸り始める。
有名私大に入学した頃はまだマシだった。
しかし二年生を迎えた頃、父は暴力を振るうようになり、弓子はそれを伯父に相談。
不動産会社を経営をしていた彼は「アパート」の一室を貸してやるから、離れなさいと進言してくれた。

それから弓子はずっと一人暮らしである。
時々、交際した彼氏が転がり込んでくることもあったが、基本は一人。
勉強をし、きちんと卒業した暁には一流企業でバリバリ働いて、せっせとキャリアを積むつもりだった。
男に頼らず生きていくという考えと、父のような男を選びたくないという思いから、彼女の就職先選びは誰よりも真剣だった。

総合商社と食品関係に絞り、その中でも一流企業を選んだ弓子はエントリーシートを隙間なく埋める。
結果、内定は5社。
どこも胸を張って自慢出来る企業ばかりだ。
しかし弓子は「剣菱」を選ぶ。
以前、剣菱電機に就職した大学の先輩が『すごく良い会社だよ』と褒め称えていたからだ。

本社に就職できたことは彼女の誇りだった。
久しぶりに実家へと帰り、父親に報告をした弓子。
しかし父のアルコール依存は酷く、それから間もなく病院に運ばれた。
会社は人の手に渡り、残された財産は「家」そして僅かな貴金属だった。
それらを伯父に管理して貰う事を決めた弓子は、父親と縁を切ったつもりで仕事に邁進する事を決意する。

自分の能力にはある程度自信があった。
けれど、まさかいきなり秘書課に抜擢されるとは思いも寄らない。

華やかで有能な人間の集まる部署と皆は賛嘆する。
確かにそうだろう。
吾妻も課長も、その他の秘書達も全て有能で美しく、そして機転の利く社員ばかりだった。
言葉と視線は鋭く厳しいけれど、言っていることは正しいことばかり。
反論の余地はなかった。

同期の社員がいたらもう少し気が楽だったのかもしれない。
愚痴をこぼしながら、切磋琢磨出来たのかもしれない。

しかし、弓子は一人だった。
コピー機に悩まされる、たった一人の鈍くさい新人社員だった。

そんな時、清四郎に優しくされ、それが副社長であることは知っていたが、そこまで地位のある人が、一介の社員にこんなにも優しくしてくれるとは想像もしていなかった。
だから好きになったのだ。
安易だと笑われても良い。
あの時、涙目だった弓子を救ったのは間違いなく清四郎で………恋心を募らせていった彼女を誰も責めることは出来ない。

弓子は電灯も付けず、アパートの部屋に座り込む。
冷たい床。
冷たい空気。
さっきまで、清四郎の暖かい頬を感じていたその手は冷え切っている。
唯一触れた、唇の感触だけが彼女の拠り所だった。

「終わっちゃった………な。」

涙が後から後から零れ出す。

判りきっていた結果。
けれど縋りたかった恋。

弓子は時が経つのも忘れ、ただじっとその場に座り続けていた。



朝。

清四郎はろくに眠れなかった頭を軽く振ると、隣にいるはずの妻へと身体を向ける。
しかし目論見は外れ、悠理は授乳の真っ最中だった。

「よしよし、たくさん飲めよ。」

悠奈に対する表情は夕べのそれとは比べものにならない。
優しくも慈愛に満ちた笑顔。
彼女の本質がその姿に全て表れている。

清四郎は静かに起き上がると、悠理の背後に立ち、肩越しに愛娘を見つめた。
その愛くるしい黒い目は清四郎の幼少時に似ている。

「ちょっと重くなってきたよな。朝から3回目のおっぱいなんだ。」

飲み終えた娘にゲップさせ、揺り籠にそっと横たえる。
悠理の身体は細く、胸は小さめだが、今のところ母乳の出に問題はなかった。

「悠理………」

清四郎はそんな’母’となった妻を抱き締める。
強く、強く、縋るように抱き締める。

「せいしろ………苦しいってば。」

「許して…くれませんか?」

「………………。」

「僕は確かに浮かれていて、彼女の想いに気付かなかった。唇を奪われたことは、夫として大変な落ち度だと反省しています。もう一度気を引き締めて、立場というものを………………」

最後まで告げようとした言葉は悠理の指に阻まれ、清四郎は目を見開いた。

「もう、うるさいな。悠奈が眠れないだろ?」

「………済みません。」

「テラスで話そう。」

悠理は清四郎の手を握り、まだ朝日の白い光が差し込むそこへと連れて行く。

「あのな………」

「はい。」

「もう怒ってない、ってのは嘘になるけど、おまえのせいじゃないって分かってるから大丈夫。」

「本当に?」

「当たり前だろ?だいたい昔っからおまえは変な女につきまとわれることが多かったんだ!ピアスだってダース単位でトイレに流したこともあるぞ?」

言葉は乱暴だが、彼女は過去の苦い思い出を笑顔で語り始めた。

「だけど……あの涙型したピアス。あれを見た時、持ち主の女がふっ…って、頭を掠めたんだ。ああ、こいつ本気だなって思った。本気でおまえが欲しいんだなって感じて、すごく嫌な気分になった。」

「悠理………」

「清四郎は過去も未来もあたいのもんだ。それは絶対に変えたくないし、変わらないと思ってた。でも、いつそんな余裕がひっくり返されるかもしれないって気付いた時、目の前が真っ暗になったよ。あたいはどこかで………胡座を掻いてた。悠奈が生まれて、清四郎はもう絶対に離れていかないって勝手に思い込んでたんだ。」

「それで良いんです。僕はおまえのことしか幸せにしたくない。おまえと悠奈だけを思って生きているんだから………。」

「うん………嬉しい。ほんと嬉しい。だから、これからも、あたいからおまえを奪おうとするヤツには本気でぶつかる。」

清四郎を振り向いた悠理は、その鮮烈に輝く瞳を惜しげなく見せつけた。

「ピアスをしのばせた女。おまえを好きだという女。おまえにキスをした女。あたいはそいつらに全力でぶつかってやる!清四郎、おまえにとってあたいが一番良い女だって知らしめてやるかんな!」

(馬鹿な!!)

と、彼は口に出せなかった。
清四郎は悠理を掻き抱き、そのまま愛を込めた口付けを落とす。
互いの唇には痛々しい傷跡が残っているが、それに構わず深く深く貪る。

「悠理………今更何を言うんです。おまえがこの世で一番良い女だなんて………ほんと今更ですよ。」

「なら………もう、あたいは何も言わない。だから………」

昇る朝日を横目で見た悠理は、夫の胸元に小さく告げた。

「夕べの続き………しよ?」

感無量。
そんな気持ちで清四郎は妻を抱き上げる。
そしてバスルームへと連れ込んだ後、溢れんばかりの愛を囁きながら、夕べ果たせなかった想いを全て注ぎ込んだ。

愛が満ちあふれる。
何者も阻むことが出来ない、深い絆を示すように。




その二日後………………………

病気を理由に欠勤していた守屋弓子は出社直後、静かに辞表を提出した。
翔子、そして吾妻は驚き、もちろん引き留めようとしたが、弓子は儚げに首を振る。

「伯父の不動産屋を手伝うことになりました。短い間でしたが、大変お世話になり、感謝しています。」

決意の固さをその瞳から感じた二人は、ぐっと押し黙り、それを渋々受諾した。

本社人事部では新入社員の自主退社が既に三人いるとの報告が上がってきている。
四人目がまさか秘書課から出るとは思ってもいなかったのだろう。
人事部部長は清四郎に、事の真偽が知りたいと持ちかけたが、彼はそれを一蹴し、これから先、秘書課の人事は自ら行う、と宣言した。

弓子は荷物を抱え、ロビーを歩く。
難関を突破し、これほどの企業で一時とはいえ働けた事は今でも彼女の誇りだ。

見上げれば天にまで届くようなガラス張りのエレベーター。
雲の上のようなそこで出会った恋は、あまりにも苦かった。
ようやく履き慣れてきたハイヒール。それはまだぴかぴかだ。

そんな未熟な足元を見ていると、一つの影が自分を覆う。

「ほら、これ返すよ。」

差し出された手には、見覚えのあるピアス。
弓子は慌てて目線を上げる。

「副社長の………奥様………」

「剣菱悠理だ。」

胸を張って言えるその名に、彼女は誇りを持っているのだろう。
豹の目を感じさせる力強さが、弓子の傷に食い込んでくる。

「あたいはこんな姑息な真似は大嫌いだ。ま、もう慣れっこだけどな。」

「………………。」

「あんた、清四郎が欲しかったんだろ?」

弓子は項垂れるように頷く。
今更取り繕っても仕方ない。

「残念だけど、あいつはあたいのもんだ。だから………」

空いた手にギュッと握らされた裸のピアス。
先端が掌にチクりと刺さる。

「今度はあいつよりもっと良い男見つけろよ。」

「!!!」

ロビーのど真ん中。
弓子を置いて、悠理は歩き出す。
そのすらりと伸びた背中は自信に満ち溢れ、ただならぬ魅力を振りまいている。

「………………かっこいいな。あの人。」

そう呟いて、真逆に足を踏み出した弓子は、もうエレベーターを見上げることはなかった。

「私もいつか……………」



明晰な頭脳を活かし、伯父の不動産会社の成長に尽力し始めた弓子。
そんな彼女が夫を伴って、二人と再会するのは約十年後のこと。

光り輝く笑顔を惜しげもなく見せた弓子に、悠理は心から満足そうに頷いたという。