「こら。どこで道草食ってたんです?」
夕時の繁華街。
細い糸のようだった雨がどんどんと強まる中、この学園の制服で出歩いてる生徒はほとんど見かけない。
元々、送り迎えが当然の子息令嬢。
親は子を思い、籠の鳥の如く扱う。
しかし、日本で五指に数えられる財閥の令嬢は、そんな括りに収まらないらしい。
飲酒、喫煙、夜遊び──なんでもござれの不良娘。
今日も授業が終わるや否や、学園から飛び出し街中へとやってきていた。
大好きなヘビメタバンドの限定アルバムが発売される日。
保存用と視聴用の二組をゲットし、ご満悦な様子でスキップを踏んでいたのだが──
あいにくガラス戸の向こうは雨模様。
帰ろうとした矢先に強まる雨足。
しかし濡れることなどへっちゃらの野生児は、躊躇うことなく鞄を頭に置き、店を飛び出した。
大切なCDはきちんと鞄に入れる。
一滴の雨粒にすら濡らされたくなかった。
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店から数メートル駆けたところで、本屋帰りの清四郎が悠理の姿を捉えた。
隙のない、いつものポーカーフェイス。
彼の手にはちゃんと、大きな黒い傘がある。
天気予報士よりも、よほど正確な見通しを立てられる男に抜かりはない。
「おまえこそ………なんだよ。」
「僕は今日発売された新刊が気になりましてね。悠理は?」
「あたいは…………」
ザァザァと降り出す雨に、大きな傘はとても役に立った。
自然と相合い傘になるも、この二人に甘い雰囲気など漂うわけもなく────
「…………あーあ、さすがにタクシー呼ばなきゃな。」
「こんなにも濡れているのに?」
彼の指摘通り見下ろせば、確かにスカートが濡れネズミである。運転手はきっと渋い顔で乗車拒否するだろう。
「………ダメか?」
「迷惑でしょうね。」
「はぁ~・・・名輪のやつ、今日は父ちゃんと横浜だしなぁ。」
うんざりと頭を下げる悠理のその肩を、清四郎は強引なほど強く抱き寄せた。
驚くべき行動。
悠理は目を丸くする。
「わっ。な、なんだよ。」
「………うちもまだ遠い。どこかで雨宿りしていきますか?」
雨音が耳をつんざく中、しかし彼の低音は誰よりもよく通る。
ぞくっとするほど魅惑的な声。
女なら誰でも腰砕けにさせてしまう、悪魔の声。
悠理はそんな妖しげな雰囲気を振り払うべく、敢えて素っ頓狂な声でその提案に乗った。
「ん~~そだな。腹も減ったし、服はその辺で買えばいいもんね!」
「なら、雨宿りデートと洒落込みますか。」
「はぁ?デートぉ?」
「おや。僕が相手では不満とでも?」
「なっ!」
思わず声を荒げ、見上げる。
傘の下で絡み合う視線。
逃れられない糸が、悠理を雁字搦めにする。
彼女はその時、初めて気付いたのだ。
彼の黒い瞳がいつもと違う熱気を孕んでいることに。
追いつめられた様子で見下ろしてくる清四郎は、まるで傷ついた狩人のような目をしていた。
「はは………冗談、だろ?」
「何故、そう思うんです?」
「だって………あたいこそ………おまえの相手に………なんないじゃん。」
上滑りした言葉は卑屈だった。
けれどそれなりに理由はある。
彼にとって自分は女ではないし、デートをするような対象に選ばれるはずもないと、頭から思いこんでいたのだから。
つい最近噂になった相手は年上の臨時教師。
美人で理知的なその容姿は、可憐が地団駄を踏むほど魅力的だった。
放課後の廊下。
二人が仲よさげに話す姿を思い出し、悠理の胸は痛んだ。
年齢差を感じさせないお似合いの二人。
割り込めない空気感。
それは子供じみた独占欲なのかもしれないけれど、悔しくて辛かった。
抱かれた肩に緊張が走り、身を捩らせ傘の中から逃げようとするも、それより一瞬早く、清四郎は腕に力を込める。
“逃さない”と言わんばかりに強く───
「な、何なんだよ、一体………!おまえらしくないじゃんか!」
怒鳴り声は雨音にかき消され、飛び出した一方の肩が無惨なほど濡れる。
頬をなぞる水滴。
灰色の世界に二人だけの鼓動。
「………好きだと言ったら………逃げませんか?」
「え?」
「……………気持ちを伝えることは初めてなんですよ……これでも、ね。」
苦笑した清四郎は、頼りなげな視線を空に彷徨わせた。
いつもは有り余る自信を隠そうともしない男。
見慣れぬ友人の顔に、動悸がけたたましく鳴る。
悠理は言葉も出せなかった。
「好き……でした……………ずっと。もう、思い出せないほど昔から………」
黒い傘が二人を隠す。
その中で行われた儀式のような瞬間を、行き交う人は誰も見ない。
落ちた鞄は薄い水たまりに沈み、悠理は全ての音を忘れた。
雨は強まる一方。
二人の時間は止まったまま────