今日は清四郎の誕生日・・・・なんだけど、一緒に祝う予定はない。
『遅くなるので先に寝ていなさい。』
朝、そう言って出かけたあいつに、あたいはまだ「おめでとう」の言葉を伝えていない。
たった一言なんだから、言えば良かったんだけど・・・。
ほんとは美味しいレストランでプレゼントを渡しながら祝いたかった。
結婚して初めての誕生日だから、結構奮発したんだぞ?
となると、枕元に忍ばせておくのがいいんだろうか。
それとも書斎にある机の上?
やっぱ遅くても起きたまま出迎えて、手渡すのが良いかな。
だってプレゼントを開けた時の顔が見たいじゃん?
たったそれだけの理由なんだけど・・・。
「う~・・・ぐじぐじ悩んでてもしゃーねー!よし、行くぞ!」
既に時計の針は午後7時を指している。
あたいは朝方まで開いている数軒のダイニングレストランを思い描きながら、クローゼットルームへと向かった。
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剣菱の本社ビルは、煌々と明かりが灯っていた。
この時期の社内は、すんごく忙しくて慌ただしいって、兄ちゃんが言ってたっけ?
なんだかんだでもう八時を回った。
待ちぼうけを食らってもせいぜい2時間ってとこだろ?
受付終了の立て札を横目に、エレベーターホールへと向かう。
自分の足音だけが妙に響き、大きな会社だからこその空虚感が漂う。
8機あるエレベーター全ては一階に居て、その内の一つに乗り込もうとボタンを押した時、低いけれど透明感のある大好きな声が聞こえてきた。
『清四郎だ!』
正面の自動扉から玄関ホールに入ってくる綺麗なシルエット。
間違いなく夫の姿だ。
しかし当然一人ではない。
会話している相手は、記憶にない女。
『ああ、そう言えば、新しい秘書が来たって言ってたな。』
アメリカ帰りの優秀な人らしい。
仕事が捗るんだよ、と清四郎は嬉しそうに零していた。
遠目でも二人は目立つ。
可憐並みに迫力のある身体。
そのラインを惜しげ無く見せつけるぴったりとしたスーツ。
清四郎と並ぶと、恐ろしく完璧な二人だった。
『あんな美人、反則だよな。』
別に僻んでるワケじゃないけど、やっぱり気になる。
コツコツ・・・
二人分の足音がこちらに向かって徐々に大きく響いてくる。
楽しそうに、何故か楽しそうに話している様子を見て、あたいはエレベーターホールのそでに隠れてしまった。
別に盗み聞きするつもりじゃなかったのに・・・。
「すごく美味しかったです。あのお店、穴場なんですね。」
「そうなんですよ。残念なのは早めにクローズしてしまうことくらいかな。」
「シェフも気さくな人で面白かった。是非また連れて行ってください。」
「はは・・こんな風に残業続きだと、食事くらいはまともな物を食べたいですからね。」
『なるほど・・・仕事の合間に二人で食事ですか。』
心に冷たい風が吹き流れていく。
そりゃあ、飯も食わずに遅くまで仕事なんて出来ないだろう。
あたいだってブチキレるよ。
でも、さ。
何もそんな女と、それも美人と一緒に食いに行かなくても良いんじゃないか?
今日はおまえの誕生日だろ?
それなのに・・・一緒に食事する相手が、奥さんじゃなくて秘書なのかよ?
呼び出してくれれば、すぐにでも駆けつけたってのに・・・。
『清四郎のバカたれ・・・・・』
握りしめた紙袋。
二人はエレベーターホールの真ん中で、いまだ楽しそうに談笑している。
ボタンも押さずに・・・。
なんで奥さんのあたいが、こんなところで覗いてなきゃならない?
そうだよ。
堂々と出て行って、嫌味の一つくらい言えばいいだけじゃん。
清四郎。
あたい、おまえと二人でご飯食べたかった。
別にラーメンでも何でも良かったんだ。
一時間でも良い。
この日を一緒に過ごしたかったよ。
ようやく押されたボタン。
エレベーターはポンと音を立て開き、清四郎の促す手が秘書の腰にそっと触れた。
プツン
その瞬間、頭の中で何かがキレた。
気付けば閉まりかけの扉に腕を突っ込み、それを即座に関知したエレベーターは、静かに元通り開いた。
驚く二人の顔が妙に小気味良くて、あたいはきっと笑ってただろう。
手にしていた紙袋を清四郎に投げつける。
「ハッピバースデー、清四郎。」
そう一言告げて、踵を返し、全速力で逃げた。
自分でも解ってる。
これはヤキモチだ。
すごく理不尽なヤキモチ。
清四郎もあの人も、これから仕事で忙しく働くってのに・・・あたいは自分の感情を優先させるデキの悪い女だ。
でも・・・でも・・・・今日は特別な日だったのに!
あまりにも勢いが強くて、自動扉にぶつかりそうになる。
その時、グンと腕が後ろに引っ張られ、咄嗟に鼻がへしゃげるのは回避された。
「悠理・・・・・」
抱き締めてくる腕はいつもよりも冷たい。
スーツ越しの、ごわっとした感触が、何故か他人のように感じた。
「・・・・。」
何も言えないまま、あたいは涙を零す。
バカらしい嫉妬。
それをこの男は寸分の狂いなく理解したことだろう。
「逃げないでくださいよ。」
「し、知らない!」
「ああ・・・くそ・・・、タイミングが悪いな。」
タイミング?
あの女と楽しそうに帰ってきたところに、嫉妬深い厄介な妻が来た事が?
「悪かったな・・何の連絡もなしに来ちゃって。」
「違う、違うんだ、悠理。」
「何がだよ!!」
振り返って胸を叩く。
思い切り叩いたって、こいつはきっと痛く感じないんだ。
「帰るところだったんです!」
「え?」
「彼女に仕事を任せて・・・帰宅するところだったんです。その御礼に食事を奢っただけなんですよ・・・。」
「・・・・あ、あ・・そなの?」
見上げれば、清四郎の切なそうな瞳とぶつかり、心がぎゅっと痛んだ。
「僕だって・・・・・誕生日くらいおまえと一緒に居たい。」
「ほんと?あたいと過ごしたいって思ってくれてた?」
「当たり前でしょう・・・。言わなきゃ解りませんか?」
「だ、だって・・・・だってぇ・・」
涙は全て清四郎の唇で吸い取られ、ようやくささくれた気持ちが凪いでいく。
ああ、あったかい・・・。
清四郎の腕はやっぱり温かい。
「さ、帰りますか。」
「あ、あのさ・・・店、予約しちゃったんだけど・・。」
「ふむ・・・なら、ホテルも予約しましょう。」
「え?」
「もう一つのプレゼント、もちろん頂けるんですよね?」
「あ・・・・!」
優しいキスと共に、清四郎は耳元で囁いた。
「おまえが欲しくて・・・堪らなかった・・・」
そう一言・・・。