Love rival

 

一目惚れ━━━なんて信じてなかった。

けれど、その時、胸は確実に撃ち抜かれ、久々に感じる恋の痛みに全身が陶酔してゆく音を聞いた。

俺はそこそこ顔の知られたファッションモデルで、その日は渋谷での撮影を終え、ぶらぶらとウィンドウショッピングを楽しんでいた。
商売柄、行き交う人の服装をチェックしてしまうのもお約束。
いくら有名ブランドで身を固めていても、スタイルが全てを左右するなんて当たり前。
良いものを着るためには、それなりの努力が必要なのだ。

視線が止まったのは、そんな時だった。
開店したての商業施設。
若い女性達で賑わうオープンカフェで、彼女はひときわ大きな口を開け、旨そうにクレープを頬張っていた。

身に着けているマニッシュな衣装は、どう見繕っても一桁違うハイブランド。
贅肉の見当たらない細身の身体は、見事にそれらを着こなしていた。

顔は……ハンサム的な美人。
ボーイッシュではなく、どちらかといえば、耽美な部類だ。
手足はすらりと長い。
健康的な張りのある肌は、化粧っ気がなくとも美しかった。

━━━モデル?いや、知らないな。

立ち止まり、釘付けになっているところ、彼女は二個目のクレープを注文し始める。

「チョコバナナ、生クリーム大盛りね!」

よく通る声は想像通りの高さで、子供っぽく跳ねるような言い方には、好感を抱いた。

━━━見た目とのギャップが可愛いな。

囚われたままの視線。
ずっと眺めていたい気持ちだったが、彼女はかかってきた携帯電話で何か話した後、二つ目のクレープを片手に立ち去ってしまう。
後を追いかけるも、恐ろしく速い。
陸上部にでも所属していたのだろうか。
カモシカの様な足が、軽やかに駆けていく。

その時は、もう二度と会うことも無いだろう……と気落ちしていたのだが、奇跡的な再会は、それから約三ヶ月後に訪れた。

200人が応募したオーディションの結果、見事、剣菱主催の『モーターショー』のイメージモデルに起用された俺は、そこでようやく、彼女が『剣菱悠理』だと知る。
日本で知らぬ者はない大財閥。
数々の事件で新聞やワイドショーを賑わせた‘あの’剣菱一家のご令嬢だ。

ネットで調べたところ、俺より四つ年下の21才で、大学生活真っ只中。
美人で大金持ちともなれば、男は腐るほど寄ってくるだろう。
もしかすると婚約者の一人や二人、いるのかもしれない。
美意識が高く、好みには煩いこの俺が、一目で釘付けになったくらいなのだから、モテないはずはなかった。

ご学友とやらも全てがセレブ。
中流家庭に生まれたこちらとは、全く住む世界が違う。
そんなことは百も承知していたが、かといって何もなかったかのように彼女を諦める事は出来なかった。

自分を認識してほしい。
そして、あの可愛い声を間近で聞いてみたい。
出来る事ならば、あの柔らかそうな肌に、直接触れてみたい。

欲求はむくむくと膨れ上がり、どうにかして彼女と会える算段はないか、必死で模索し始める。

そしてその機会は訪れたのだ。
華やかなパーティの招待チケットによって。



贅を尽くした・・・とは、こういうことを言うのだろう。
剣菱系列のホテルで開催された、関係者のみ列席できるクリスマスパーティ。
大広間を借りきってのそれは、200人近い客で埋め尽くされ、立食形式のもてなしで出迎えられた。
出てくる料理全てが、一流シェフによるもの。
どれもこれも、さすがに美味い。

招待客の中、ちらほらと見かける顔見知りに挨拶しながらも、しかし俺の視線は剣菱悠理を求め、彷徨っていた。
早く会いたい。
そう願いながら歩いていると……

━━━居た!

面白いように心が跳ねる。
動悸は激しさを増し、目は釘付け。
背後に居たマネージャーの制止する呼びかけを無視し、俺は彼女が佇むテーブルへと向かう。

『剣菱悠理』は大きな取り皿を抱え、豪勢な肉料理を物色していた。
ラベンダー色のドレスはどこか大人びて見え、以前の彼女とは全く異なった印象を受ける。
大口を開ける姿だけが、あの日と重なったが━━━

高鳴る鼓動を抑えつつ、ゆっくりと近付けば、繊細な造りの顔が間近に飛び込んでくる。

━━━ああ、やっぱり彼女は綺麗だ。

空気を纏ったふわふわの髪や、長い睫毛の下に隠れたヘーゼルナッツの瞳。
思わずキスしたくなるような桃色の唇も、全てが完璧で、全てが俺の心を揺さぶった。
あの日と同じ、化粧っ気の無い肌が、シャンデリアに照らされキラキラと目映い。

「あ…の………」

上擦った声で呼び掛ければ、彼女はくるりとこちらを向く。
手にはフォークと大量の肉が乗ったお皿。
警戒心を感じさせない無垢な表情に、思わず和んでしまう。

「なに?」

口に運ぼうとしていたフォークをそのままにして、訝しげに尋ねてくる彼女。
見た目とは違い、子供っぽい。

「初めまして。俺、三宅眞也(みやけしんや)って言うんだけど、実は君と………」

警戒を解くため、まずは自己紹介しようとにこやかに微笑んだその時。
風のように現れた男が彼女の背中に腕を回し、俺を鋭い視線で睨みつけた。
そして息を呑む素早さで、こちらとの距離を取る。

一糸乱れぬ黒髪。
漆黒のスーツ姿。
モデルの俺と変わらぬ背丈ながらも、肩幅はヤツの方が少しばかり広かった。

「何か?」

静かな物言いだが、有無を言わせぬ迫力がある。
一体何者だろう?
まさか彼女の恋人?
兄弟には見えないし……友人にしては、こちらを値踏みし、威嚇するよう見つめてくる。
そんな彼の様子には慣れているのか、はたまた無頓着なのか、彼女はマジマジと俺の顔を確認する。

「あれ?あんたもしかして、今度うちのイメキャラになった人?」

瞬間、表情がパアッと輝く。
どうやら、俺のことを知っていてくれたようだ。

「うん、そうなんだ。それで実は………」

ずっと君を、探してた。
ずっと、会いたかったんだ。

だけど、考え、温めていた言葉はあっさりと遮られた。
男の低い声で。

「悠理。おじさんが呼んでいましたよ。」

「え?父ちゃん?」

「ビンゴゲームを始めるので、おまえも参加しろ、と。」

「マジ!行く行く!今年の景品はすごいんだじょー!」

子供のようにはしゃぐ姿は可愛いけれど、チャンスは丸潰れ。
そして、以前追いかけた後ろ姿よりも速く、彼女は走り去っていった。
やはり足が速い。
まるでバンビ……いや、猪のようだ。

呆然とする俺に一歩近付いた彼は、その整った顔に穏やかな笑みを湛え、耳元でこう囁いた。

「ナンパするのなら相手を選んだ方がいい。命が惜しければ、二度と彼女に近付かないことだ。」

パキパキ
広げていた片方の指で、物騒な音を鳴らす。
決して目だけは笑わずに。

「あんた………彼女のナニ?」

核心を求める質問に、彼はようやく少し離れ、居住まいを正した。

「将来の夫ですが?」

「夫………」

恋人でもなく、婚約者でもなく、夫?
違和感の残る返事だったが、答えた男の顔には自信が漲っている。

果たして彼の言葉は真実なのか?

真っ直ぐに伸びた広い背中をこちらに向け、彼女の走り去った後を優雅に歩く。
ただ者ではないと理解した俺は、またしても呆然と見送るしかなかった。

だがそこへ、一人の男が声をかけて来る。

「やぁ。」

長く伸びた金髪がさらりと視界を覆う。
次の瞬間、モデル達が集まるクラブで、頻繁に見かける男が、アイスブルーの瞳でこちらを覗き込んでいた。
たしか『ビドウ』と言ったか?

「モデルの『SHINYA』だよね?」

「そう………だけど?」

「これは優しい僕からの忠告。君、あの男には逆らわない方がいいよ。彼が言ってた言葉は全部本当だから。」

「え?じゃあ……やっぱり彼女の『恋人』なのか?」

ショックに項垂れる俺の肩を、’ビドウ’はトントンと叩き、首を横に振った。

「いや……実は‘まだ’なんだ。今はタダのオトモダチ。だけど、清四郎………あ、あの男のことね。あいつは悠理を誰にも譲るつもりは無いから、絶対に邪魔しない方が良いよ。君の為にこれだけは言っておくからね。」

「…………はあ。」

どうやら彼は、初対面の俺を本当に心配してくれているらしい。
多少大袈裟な物言いに感じたが、その言葉に嘘は無いように思われた。

「でも、もし………彼女が彼を拒否したら?」

そうだ。
彼女がもし彼を拒否したら?
そこに俺が入り込む余地が生まれるんじゃないのか?

「う~ん。たとえ拒否されても……あいつは諦めないだろうなぁ。」

「え?」

「しばらくは無自覚だったみたいだけど、片想い歴は結構長いからねぇ。」

彼の視線の先には、二人の姿。
じゃれ合うよう腕を絡め、互いのビンゴカードを見比べている。

「それに………悠理も…………いや、何でもない。」

我に返ったのか、言葉を濁したまま、‘ビドウ’は人混みの中へと消えていった。

残された俺にとって考えることは二つだけ。
彼女への告白を実現させる。
そしてライバルをどう排除するか。

忠告や脅しが恋心のストッパーになるのなら苦労はしない。
ここまで一目惚れした相手は、過去に一人もいなかった。
あの‘清四郎’という腹黒そうな男がどれほど危険であろうとも、そう簡単には諦められない。

念願だった‘剣菱悠理’を間近に感じた俺は、掻き立てられる焦りに奥歯を噛んだ。

欲しいと思った。
身分違いは承知の上。
彼女の可愛い笑顔を独り占めしたい。
クリスマスに出会えた奇跡を無駄にはしたくない。

俺は竦んだ足を叱咤する。

ぐずぐずするな、眞也。
ライバルがいたら何だってんだ。
今は同じスタート地点。
彼女が誰を選ぶかなんて………まだ判らない。

燃え盛る対抗心。
それに背中を押され踏み出した一歩は、思いのほか軽やかで、俺は‘想い人’を目指し、颯爽と歩き始めた。



「おい、美童。おまえ、余計なことしたんじゃねぇか?」

「う、う~ん………そうなのかな?僕としては諦めてもらうつもりだったんだけどね。うまくいかないな。」

「ま、いいさ。これで、のんびり構えていたやっこさんも焦り始めるだろ?」

「そうだといいね。あんだけ惚れておいて未だ告白もしないなんて、ちょっと悠長すぎるよ。」

「言えてる。とにかく俺らは高みの見物と洒落こもうぜ。」

「OK!」