その日の夜。
剣菱邸を訪れた客人は、多くの御付きを従え、金色のロールスロイスで乗り付けた。
夜目にも目立つ豪華な車。
そんな彼らを負けじと出迎えたこの屋敷の主人もまた、金の袴に金の草履を身に着け、悪趣味を競うかのような出で立ちだった。
「父ちゃん…………恥ずかしいってば。」
「何を言うだ、悠理!おらは負けてらんねぇだよ!この剣菱万作が見た目で負けたら、世間の笑いもんだがや!」
無用の心配をする父親から、悠理は呆れたように視線を外す。
こうと決めたら猪突猛進。
自分との濃い血の繋がりを、改めて感じる娘であった。
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アラブで五指に入ると名高い、石油王一族との交流は、かれこれ10年にも及ぶ。
先日父親から代を受け継いだ‘ハサナル・アジム’は25歳になったばかり。
ヨーロッパの有名大学を卒業した後、すぐに自らの手で起業した彼は、たった三年ばかりでその見事な手腕を全世界に知らしめていた。
石油業関連はもちろんのこと、不動産、貿易、海運業、ITに精通しているハサナル。
この若さで既に巨万の富を築き上げている。
父から相続する遺産を合わせれば、日本の国家予算の半分にも匹敵するらしい。
とにもかくにも大金持ち。
さすがの剣菱財閥も手が届かないほど。
高等教育を受け、ありとあらゆるものを与えられ育ったハサナルは、8歳の頃、実母を事故で亡くしている。
それから数年後。
12歳年上のマリアが後妻として迎えられ、優しくも美しい彼女の下、ハサナルは真っ直ぐすくすくと成長する…………はずだった。
しかし若く奔放な性格のマリアにとって、年老いた父よりも12歳のハサナルの方が魅力的に感じたのだろう。
整った顔立ちは母親譲り。
きめ細やかな褐色の肌も、凛々しい眉も、気品ある琥珀色の瞳も、全てマリアが好む物。
それに加え、艶のある漆黒の髪は子供ながらに将来を期待させる。
僅か12歳。
まだ幼さの残る彼は、ある夜、父親が不在中にマリアと同衾してしまう。
一度味わった背徳は、マリアにとっても良い刺激になったのだろう。
気が付けば毎夜の如く、義理の息子の部屋を訪れるようになっていた。
女の溢れかえる情欲を、まだ成長しきらぬ身体で受け止めたハサナル。
彼が15を迎える直前、彼女が忽然と姿を消すまで、その禁断の関係は続けられていた。
女性不信、とまではいかないが、ハサナルの心には冷たく凍った塊が存在する。
女など、どれも同じ。
金と自分の見た目だけが目当てで、快楽さえ与えれば犬のように媚びへつらう。
そんな厭世感を持つ彼は、悠理を前にしても当然顔色一つ変えず、静かな眼差しで見つめていた。
━━━━━しかし。
ハサナルは考える。
この国の女はこうも食に意地汚いものなのか、と。
先程からゲストである自分達よりも、より多くの料理を皿から奪い、それら全てを物の見事に胃の中へとおさめて行く。
大食らい………はもちろん母国にも居た。
が、彼を前にし、大口を開けて物を食べる輩(それも女)が居るなど想像もしていない。
ほとんどの女は上目遣いで頬を染め、おちょぼ口で申し訳程度の食事しか取らない気取り屋ばかり。
脇目もふらず飯に食らいつく女は初めて見る経験だった。
ハサナルは悠理の豪快な食べっぷりと、自分への関心の無さに、ほんの少しだけ興味を惹かれる。
もちろん‘異性’としてではなく‘一人間’としてだが。
「ふぁーー!食った食った!」
聞けば令嬢は二十歳になったばかりだと言う。
中性的な顔立ちは、日本人にしては珍しく整ってはいたが、もちろん世界中の美女を見てきたハサナルの心にはピクリとも響かない。
美しい女など見飽きている。
もちろん抱き飽きてもいる。
冷えた心を溶かすような女とは、まだ出会ってはいない。
「ユウリは大学生と聞いたけれど、何を学んでいるんですか?」
丁寧な日本語で当たり障りのない会話を持ちかけると、
「大学で?えーーとなんだっけ。とにかく国際交流ってやつ?異文化コミュニケーションとかそんなのを学んでる。でもあたい、英語すらしゃべれないけどな。」
予想もしなかった返事が返ってくる。
優秀な大学に通っていたハナサルの周囲には、これまた優秀な学生が揃うため、お互いの目標や学問について夜遅くまで語り合うことが多かった。
━━━━日本の大学生は、随分とレベルが低いんだな。
そんな誤解を与えたままの悠理は、呑気にも運ばれてきたデザートにご執心である。
「ハナサルみたいに頭よさそーなヤツなら、清四郎と話が合うかもな。明日呼んでみるよ。」
━━━━セイシロウ?別にどうでもいいが・・・
悠理の友人ならば大したレベルでないと踏んだハナサル。
「楽しみにしてるよ。」とお決まりの社交辞令で返事をし、どことなく不思議な食事会を溜め息と共に終えた。
しかし━━━━━次の日。
悠理に呼び出され、早朝から剣菱邸を訪れた清四郎は、早速ゲストとの朝食を楽しむ。
彼は大学で経済学部に所属しており、その傍ら経営の勉強にも力を注いでいる。
ハナサルとの刺激的な会話は、清四郎にとってまたとない機会でもある為、いつもより饒舌に会話を繰り広げていた。
「あぁ、楽しい!セイシロウのような大学生が日本にも居てホッとしたよ。」
ちらり、悠理を流し見た後、ハナサルは砕けた口調でそう告げた。
しかし彼女はフルーツボウルに夢中。
小難しい話になど興味はない。
「こちらこそ、お話し出来て光栄でした。」
にこやかに微笑む清四郎は心からの感謝を述べる。
事実楽しかったのだろう。
その声には高揚感が見て取れた。
「今度は是非、我が国にも遊びに来てほしい。二人を招待するよ。」
社交辞令かと思われた言葉だったが、しかしハナサルは母国に戻った後、直ぐ様招待状を送りつけて来た。
「ふーん、律儀なヤツだな。」
「どうします?」
「招待を受けたんなら行くに決まってんだろ。」
「では、婚前旅行と参りますか。」
「!!!」
・・・・・・・え?いきなり何言ってんの?
と思われた読者様も多いことだろう。
お気付きの通り、この物語の二人は結婚を約束した婚約者同士である。
大学入学前に互いの気持ちを認め合い、キャンプファイアの如く盛り上がった恋心。
入籍はお互いが二十歳を迎えてから、と約束し現在に至る。
清四郎はあと一ヶ月で誕生日を迎えるため、今回のアラブ行きは、まさしく婚前旅行となるのだ。
しかし悠理が動く場所、トラブルが付いて回る。
色んな事情から仲間達が遠慮した(させられた)為、本当に二人きり。
さて、この先どうなることやら。
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出発前夜の剣菱邸にて・・・・・。
「明日が楽しみですね。彼の家は大豪邸らしいですよ?」
夕食後、直ぐ様婚約者をベッドに引きずり込んだ男は、顔中にキスを落としながら、秘密を洩らすように囁く。
「うん。そういや、ジャガーをペットにしてるって言ってたもんな。なんかワクワクしてきたじょ!」
「ジャガーだけじゃありません。オスライオンも二頭、番犬のように飼われているらしいんです。それも放し飼いで・・・。」
「え?おまえ詳しいな。」
「メールで遣り取りをする仲になりましたからね。」
「へぇ!そういや珍しく気が合ってたもんなぁ。」
そう。
悠理の言う通り、清四郎とハナサルは気が合っていた。
二人ともビジネスにはシビアで、好奇心旺盛な多趣味人間。
ハナサルは武術にも興味があり、6時間の時差を乗り越え、チャットで盛り上がる日も多かった。
更に医学、薬学、生物学、それら一通りを学んだハナサルとの会話には、多くの共通項が存在した。
知識に斑の無いハナサルと、専門的な分野に精通した清四郎。
お互い忙しい身ながらも、ネットを繋ぎ会話することで、徐々に距離を近付けていく。
「でも、友達にはなれないかもな。」
逞しい腕の中、悠理はポソリと口にする。
「どういう意味です?」
「え?あ…………うーん、なんとなく。」
野生の勘とでも言うのだろう。
悠理は清四郎とハナサルの関係は、そう長続きはしないと考えていた。
そして彼女の勘は見事的中するのだが、まさかその要因が自分であるとは…………。
この時の悠理は当然、予測出来なかったのである。
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飛行機を乗り継ぎ、日本から約10時間。
その暑い国は、非常に乾燥していた。
砂漠のど真ん中に巨大都市がニョキニョキと生え、太陽にさらされたビル群が目映い銀色の光を撒き散らしている。
人口の割りに日中の交通量は少なく、空港から乗った専用車は快適に街の中を飛ばしていた。
「あっちぃな。」
「悠理、屋敷から外に出る時は、こうしてきちんとヒジャブを被ってくださいね。」
「ちぇ。これが暑苦しいんだってば。」
「宗教的な事は守らないと余計なトラブルを引き寄せます。とにかく髪を見せないように。わかりましたね。」
「へぇーい。」
約30分ほど走った車は、白亜の豪邸に到着する。
ガードマンの立つ厳重な門を潜り、ヤシの木が生い茂るアプローチを約五分走り続けると、ようやく近代的な建物が目の前に現れた。
石造りの噴水は、燦々と光る太陽を背に、惜しげもなく水を噴き上げている。
それを取り囲む色とりどりの花壇。
芝生を育てるためか、はたまた暑さを緩和する為か、スプリンクラーが何機にもわたり稼働している。
正面玄関に下り立った二人が、金と銀が織り成す大きな扉を抜けると、そこは大理石の床が一面に広がる曠然たるロビー。
ひんやりとした床が心地良いのだろう。
悠理が楽しみにしていた、噂のジャガーが目を閉じたまま寝そべっている。
見事な柄と、野性味溢れるしなやかなボディ。
よくよく見てみれば、革製の首輪にはなんと、多くのルビーが散りばめられていた。
「すげぇ。」
悠理が感嘆の声をあげる。
清四郎もさすがにこのクラスの豪邸は初めてで、至るところに飾られた名のある美術品に目が奪われていた。
そこへ…………
「ようこそ。日本の友達。」
ハナサルの登場だ。
左右に広がる螺旋階段の右側から、ゆったりとした足取りで降りてくる。
クトゥラとカンドゥーラといった、アラブの一般的な衣装を身に纏い、足元は涼しげな革のサンダルを履いている。
そんな凛々しい立ち姿に清四郎は見惚れてしまったが、慌てて誤魔化すよう咳払いをする。
余計な疑惑など招きたくはない。
彼の後ろには、同じような衣装を着た一人の男。
どことなく似た面立ちの為、おそらくは身内なのだろう、と二人は思った。
「お招き頂き、ありがとうございます。」
清四郎は丁寧に頭を下げる。
「仕事を片っ端から処理して、ようやく二日間の休暇が取れた。まったく奇跡的だよ。」
そう言って爽やかに笑うハナサルを、側に居た男が無遠慮に小突く。
「その分、僕が大変な目に遭うんだけどね。」
ハナサルよりも流暢な日本語を話すその男の名を、‘ラシード’と言った。
聞くところによると彼はハナサルの従弟で、年齢は悠理たちと同じ20歳。
天才的頭脳の持ち主である彼は、大学を一年前に飛び級で卒業し、現在はハナサルの相棒としてマネージメントの統括マネージャーをしている。
「とにかく君たちを歓迎するよ!ラシード、セイシロウは有能な男だから、きっと会話も弾むだろう。」
ラシードは180cmほどある清四郎と同じ目線に立つ。
ハナサル同様、見目麗しい男。
スッと差し出された彼の手を、清四郎は躊躇なく握った。
「よろしく、セイシロウ。」
「こちらこそよろしくお願いします。」
バチバチ
目に見えない火花が散ったことをハナサルだけが気付く。
が、ジャガーに夢中な悠理は大理石の床に座り込んで見向きもしない。
「なぁ?こいつの名前は?」
「ナディヤだ。」
「ナディヤ…………いい名前!後で散歩させていい?」
「別に構わないが………」
とそこまで言って、ハナサルは驚く。
━━━━ナディヤは自分以外にはなつかないはずなのに!なんだこの娘は?餌係ですら何度も噛まれた経験があるんだぞ?
だが、美しき獣ナディヤは、来たばかりの悠理に身を擦り寄せている。
心を預けた仕草でゆったりと。
━━━━これはどういうことだ?
衝撃を受けたまま振り返ると、優秀な従弟もまた苦笑し、首を傾げている。
彼といえども解らないことがあるらしい。
━━━━なるほど……………なかなかに面白い女だ。
これが第一のきっかけ。
ハナサルの心が小さな音を立て、ようやく動き始めた。