太陽の下で(X’mas番外編)

 

「菊正宗先生!メリークリスマス!」

聞き馴染んだ声の教え子に背中を叩かれ、振り向いた瞬間、首にふわりと巻かれたマフラーはどう見ても手編みのそれ。
清四郎は毛糸のチクチクした感覚に多少の不快感を覚えながらも、極力、表情に出さぬよう努力した。

自分より25cmは低いだろう女生徒が、クリクリの目を輝かせ、見上げている。
受け持つクラスの中でも特に明るく、物怖じしない女子だと認識していた『瀬戸 美香子せと みかこ』。
二年生ながらも手芸部の部長で、その腕はプロ並みである、と職員室で評判になっていたことを清四郎は思い出した。

「ちょっと早いけどクリスマスプレゼントだよ。ほら、ぴったり!菊正宗先生には深緑が似合うと思ったんだ~!」

晴れわたる空のような笑顔に対し、彼の顔は少し曇る。

「僕は生徒から物を貰わない主義なんですが………」

「いいのいいの!固いこと言わない。だって先生だけじゃないもん。美術の遠江先生でしょ?体育の水上先生や、物理の宮島先生にも頑張って編んであげたんだから!」

どういう基準で選んだのかはよく分からないが、瀬戸美香子は小さな体で得意気に胸を張って見せた。

「私の作品は売り物になるくらい上手なの。先生もありがたーく受け取ってください!」

「はぁ。」

そう言い残し、風のように駆けていく後ろ姿は、手の届かない若さと、置いてきた青春をそこはかとなく感じさせた。

完全に彼女の姿が消えた後、清四郎はゆっくりとマフラーを外す。
噂通りの腕前なのだろう。
綺麗に揃った編み目は、店頭の物と比べても遜色なかった。

「あら、せんせ。随分おモテになりますこと。」

その刺々しい口調の持ち主は、振り返らなくても分かる。
教師の前であろうと腕組みを外さず、黄桜可憐は綺麗に整った眉を上げ、鼻を鳴らした。

「黄桜さん…………もうじき六限目が始まりますよ。」

「先生、まさかそのマフラー、受け取るつもりじゃないでしょうね?」

不遜な態度を隠そうとしないまま、可憐は敢えて言葉を被せる。
ヒトコト言わなきゃ気が済まないといった様子で。

彼女は制服に包まれた豊満な体で背伸びすると、清四郎を下から睨み付けた。
手入れされた肌は間近で見ても瑞々しく、毛穴すら見当たらない。

「彼女持ちのくせに、『手編み』なんてダメ!突っ返しなさいよ!」

かろうじて小声で忠告する可憐。
だがその声はドスが効いており、明確な怒りを孕んでいた。

「そのつもりです。」

「あらそ。ならいいけど。」

教師と生徒。
内容が内容だけに、清四郎も周りの目を気にしてしまう。

元々生徒との個人的な遣り取りは禁止されている事だし、可憐の言う通り、婚約者が居る身として、ここはきちんと千引きすべきであろう。
決して、彼女の機嫌を損う要因を作ってはならない。

「ところで、せんせ。クリスマスの予定は決まったの?」

可憐の質問の意図は何となく解るが、ここはあくまで学園内。
これ以上プライベートな話をして、危険な橋を渡ることは出来なかった。

「雑談はここまで。ほら、チャイムが鳴りましたよ。さっさと教室に戻る!」

「あん、もう!せんせ、分かってるわよね?絶対、ロマンチックなクリスマスにしてあげること!いいわね?」

彼女は投げつけるように言い残すと、波打つ髪を翻し、ようやくその場から立ち去ってくれた。

お節介な性格だが、基本愛情の深い可憐。
自分達の事を本気で案じてくれているのが分かる。

この年頃の子供たちは、学業よりも友を必要とする。
そんな若い意識に例えようもない切なさを感じ、清四郎は思わず深い溜め息を溢した。

━━━━あと三歳、いや五歳若ければ、こんな気持ちを抱く事もなかったのか?




夜の帳が下りた剣菱邸。
クリスマス間近の屋敷は、多少悪趣味な物もあれど、庭という庭のあらゆる場所が煌びやかなイルミネーションで飾られていた。
悠理が産まれた年に植えたもみの木は天へと向かい、その葉を立派に生い茂らせている。
毎年、業者の手でクレーンを使い、何処よりも立派な飾り付けを施す。
ご近所からの評判もすこぶる良かった。

邸宅内は百合子の独断場で、年々派手になるヨーロッパテイストの仰々しいデコレーションは、働く者達を苦悩させる。
特に今年は、女主人の機嫌が良く、それは明らかに清四郎の存在が関係していた。
大事な愛娘が立派な婿を連れてきたのだ。
テンションが上がらぬはずもない。

彼女の意思は、悠理の寝室にも表現されている。
天蓋カーテンはベルベッド素材の赤。
情熱的過ぎる程の赤だ。
ベッドカバーは金糸で縁取られ、そのベースは緑色のシルク。
一つ一つを吟味し、二人の愛の巣が形成されている。
そこで睦み合う二人にとっては、所詮どうでもいいことなのだが・・・。

「……んっ…………はっ………せんせ……」

プライベートな授業を終えた悠理は、覆い被さる清四郎の体にしがみついたまま、強引なキスに酔いしれていた。
熱のこもった、淫らなキス。
悠理の五感を煽るただ一人の男は、日に日にその激しい情熱をぶつけてくる。
彼女もまた、彼に深い愛情を抱いている為、清四郎の希望に逆らうことはしない。
むしろ、より大胆に求め、大の男を翻弄していた。

今宵、彼女が身に着けている派手な部屋着は、ニューヨークより帰国した兄からのプレゼント。
トナカイの絵柄が散りばめられたフリースウェアは保温性に優れ、悠理も大のお気に入りだった。

ひとしきりキスを終えた後、清四郎の手は柔らかな素材の上を這い始める。
感度を高める為の、胸への愛撫。
そしてもう片方の手は徐々に下へと流れ、秘められた場所をズボンの上から刺激する。

「あ、ん………」

昼間、クールな顔で授業をこなす男とは思えないほどのやらしい手つきに、悠理は恍惚としながらも、そのギャップを不思議に思った。
どれほどの経験を積めば、こんな風にやらしくなるんだろう。

「せんせって、いつからそんなにやらしいの?」

「は?」

「だって……………恋人、いたんだろ?」

過去を掘り起こす事への抵抗はあったが、その時の悠理は軽い気持ちで尋ねてしまった。
だが、どうやらそれは間違いだったらしい。
清四郎は一転、苦々しい顔を見せ、逞しい身を起こす。

「居ましたよ……この年ですから、それなりには。」

「……あ、うん。」

「彼女達とどんなプレイをしていたか、気になるんですか?」

「そ、そういうわけじゃ…………」

清四郎は不機嫌になってしまったようで、悠理は慌てて起き上がると、はだけたシャツから見える胸板にヒシッとしがみついた。

「いい!言わなくても。………あたい、嫉妬しちゃいそうだし。」

「そう……過去を話すなんて無意味ですよ。………僕は君との未来を生きたいのだから。」

「うん。」

頷く悠理を優しく撫でる。
清四郎にとって、過去の女などどうでもいい話。
恋した相手は、間違いなく悠理だけなのだから。

「あと5日でクリスマスですね。何処かへ出掛けますか?」

「………遠く?」

「何処へでも。」

人目の付かぬところで手を握り、何の憂いも感じさせず、笑顔にしてやりたい。
清四郎は不安げな表情の悠理をそっと掌で包み込んだ。

「どこにでもいる普通のカップルとして、楽しみましょう。美味しい物を食べ、美しい景色を見て、夜は……たっぷりと愛し合って………」

「うん!先生と一緒なら………どこでもいい。」

卒業まであと三ヶ月。
二人はその後、日本を離れる。
悠理の成績は徐々に上がり始めているが、まだまだ留学するには心許ない。
清四郎はほぼ毎日、彼女の家で家庭教師を勤めているが、その内の半分はこうして恋人同士の甘い時間を過ごしている。
スキャンダルから守るため、外でのデートは滅多に出来ないものの、それについて悠理から不満が溢れたことはなく、彼女は毎晩、幸せそうに清四郎を待っていた。

「そう言えば、最近、魅録君は元気ですか?」

「え?魅録?」

「昔は頻繁に暴走族の集会に行きたがっていたでしょう?ここのところ、そんな話は聞いていないけど。」

「あ………それ、ね。」

悠理は清四郎から少し離れると、シーツの端を弄り始めた。

「可憐が………ダメだって言うんだ。婚約者が居るくせに、他の男と遊んじゃ、先生が可哀想だからって。」

「………彼女がそんなことを?」

「それに魅録も、先生のこと認めてくれたし、今は大事な時期だから勉強しろって。」

「ほう………。」

「でも、たまに走りたくなるよ。夜の街をバイクで思いっきりぶっ飛ばして、風を感じたくなるんだ。」

彼女の鬱憤は相当なものだろう。
誰にも縛られず、自由気ままに生きてきたはずなのに、自分と付き合うことで、今は狭い檻の中に閉じ込められた状態だ。

深く知り合って半年にも満たないが、清四郎は不憫な婚約者の学生生活を改めて見つめ直した。

「…………本当にいいんですね?」

「え?」

「いや………こんなやり取りはもう、何回もしたな。」

それでも手放せないという結論に、何度も落ち着いた。

「先生?」

「全力で、幸せにします。だから一生、その素敵な笑顔を見せてください。」

「ウン!先生も………ずっとずっと、あたいのこと好きでいてね?」

「誓って……。僕は君しか愛せませんから。」

ほろ苦い感傷など、彼女の人生を手に入れた事に比べれば些細なもの。
自分たちの出会いが、年の差が、立場が、今の二人の土台となっているのだから、気に病むことはないんだ。

情熱に押し流される心を、確実に受け止めてくれている悠理。
これ以上の幸せが、一体どこにあるというのだろう。

清四郎は悠理の左手を取り、そこにぴったり収まったリングに軽い口付けをした。
プライベートな時間だけは、そのダイアモンドを身に着けてくれている。

約束の証。
彼女が自分のものだという、確固たる証拠。

「悠理、覚えていますか?」

「え?」

「婚姻届をクリスマスに提出するという約束ですよ。」

「あ!!!」

「忘れていましたね。」

「えへへ………そだった。」

「もう、後戻り出来ませんよ?というか、させません。」

「するつもりない!」

「では、共に………区役所へ行って下さい。それから旅に出ましょう。」

「やった!」

「その間は……勉強もお休みです。」

抱きついてくる悠理は、果たして勉強から解放されたことを喜んでいるのか、それとも………?

「清四郎。」

「………え?」

「旦那様だもん。………学校以外では’清四郎’って呼んでもいい?’あなた’ってのは柄じゃないからさ。」

「歓迎します。」

そしてクリスマスイブ当日。
二人は両家の親に挨拶をした後、役所へと出向いた。

空から舞い落ちる淡雪は、彼らの前途を祝福するかのように降り続き………
夫婦として初めて向かった温泉地では大雪だったものの、鄙びた旅館の一室で、ただひたすら愛に耽る。

「愛してる、悠理。」

「あたいも、ずっと愛してるよ、せん………清四郎。」

人生で最高のホワイトクリスマス。