きっかけはミセス・エールの一言だった。
「是非とも皆さんで、彼らの問題を解決してあげてください。」
聖プレジデント学園の学園長である彼女は、現在日本とイギリスを頻繁に行き来している。
母親の病状は安定しているが、やはり年齢のせいで心寂しいのだそう。
娘の顔を見たがる気持ちを汲んで、月に一度は機上の人となっていた。
その日、ミセス・エールのお茶会では大学部に進学したばかりの六人が揃い、溜め息を吐く彼女の様子を心配そうに見つめていた。
「何か心配事でも?」
野梨子がトーンを落とした声で尋ねると、ミセス・エールは切り揃えられた金髪を揺らし、迷った様子で首を振る。しかし覚悟を決めたのか重い口を開いた。
「実はあなた方の学園で幽霊騒ぎがあるのです。」
それを耳にした瞬間、悠理は口に入れようとしていたケーキを落とし、美童は顔色を青く変えた。
「幽霊、ですの。」
野梨子も決して得意な分野ではない。
直ぐ様、隣に座る好奇心旺盛な幼馴染みを振り返ると、 気遣わしげに見上げる。
「どの辺りでそんな噂が?」
手にしていたカップをそっと置いた清四郎は興味津々な様子で、ミセス・エールを窺う。
初老の彼女は、再び溜め息を吐き出すと、言葉を選びながらゆっくりと話し始めた。
この話がきっかけとなり、有閑倶楽部の六人は、再び波瀾万丈の世界を繰り広げることとなるのだ。
「あたいはヤだぞ!!」
机を乱暴に叩いたせいで淹れたての珈琲がカップから溢れ出す。
悠理はそれに見向きもせず、清四郎を睨んだ。
「まだ何も言ってませんよ。」
涼しげに言い放つ男は、持ち前の反射神経で咄嗟に持ち上げたカップを静かに啜る。
悠理の行動などお見通しだと言わんばかりに。
「あたいに幽霊探知機になれってんだろ!」
「まぁ、それが一番手っ取り早いんですけどね。どうせ嫌なんでしょう?」
「当たり前だろ!おまえは霊感が無いからそんな平気な顔で居られるんだ!」
狂犬の様に噛み付く悠理を宥めたのは魅録だ。
「まあまあ。とにかく、ちょっと話を戻そうぜ。」
「そぉよぉ、ミセス・エールの力になってあげなきゃ気の毒じゃないの!」
入れ直した珈琲を差し出しながら、可憐はぼやく。
大学生になってからというもの、目ぼしい恋愛(結婚)相手をいまだ見つけられない彼女は暇をたっぷり持て余していた。
同情半分、好奇心半分で今回の話に乗り気である。
「ミセス・エールが言っていた学部棟は文学部なんだよね。沙織ちゃんもそんな噂を聞いたって言ってたけど、実際幽霊を見た人間は三人ほどなんだろ?」
脳内に一人の美少女を思い描き、美童はにやついた。
「一人は教授、後の二人は夜遅くまで居残っていた学部生だ。騒ぎを大きくしたのはそいつらが幽霊の顔を見たことがあると言い出したからなんだよな。」
「‘吉久保さゆり’さんは確かに退学した後、自殺していましたわ。理由はわからないままですけど。」
手元にある資料写真を見つめながら、野梨子は溜め息を吐く。
そこに写るはとても美しい女性で、世を儚む様な理由は見当たらない。
「もし噂が本当だとしたら、何か思い残すことがあったんでしょうな。それもこの学園に。」
清四郎の優秀すぎる脳は、真実を見極めようと回転速度を上げている。
過去の経験上、霊現象には強い悔恨が伴うと知ってはいるが、果たして今回もまたそれに適合するのかどうか、判断がつかなかった。
「悠理。」
「な、なんだよ。」
「一度、夜の文学部に足を運びましょうか。」
「や、やだ!!」
「まだ出ると決まったわけではありませんよ?」
「見た奴がいるんだろ!居るに決まってんじゃんか!」
悠理の言い分はもっともだ。
しかし、清四郎も譲らない。
「この事件が解決すれば、一年間学食が無料になると言ったらどうです?」
「えっ?」
今さらの話だが、彼女の実家は日本有数の金持ちだ。
しかし、悠理は「ただ(無料)」や「食べ放題」という言葉に弱い。
清四郎がぶら下げる美味しそうな餌に、あっさり心惹かれてしまう。
「ミセス・エールならそのくらいのこと何とでもしてくれますよ?」
「うぅ~!」
悩み始めたお馬鹿な頭の持ち主を、仲間達は苦笑しながらも優しく見守る。
これもいつもの事なのだ。
清四郎にかかれば、悠理は猿回しの猿よりも単純に動くのだから。
「い、行くだけだぞ?喋ったりしないからな!」
「はいはい。」
そうして決まった肝試し、もとい幽霊探し。
問題解決の糸口になるのか?
―――果たして。
決行日はその週の土曜日だった。
美童と可憐はデートだからとあっさり帰ってしまったため、残された四人で文学部の学舎を目指す。
時計の針は、既に夕方6時を指し示していた。
レンガ造りの建物は築40年ほど経つが、手入れが行き届いているのか未だ美しい姿だ。
今回ミセス・エールに泣きついてきたのは大学の総長をはじめとした教授たち。
幽霊騒ぎが広がってからというもの、生徒が講義を受けたがらないという理由だ。
勿論、昼の日中から出没する霊は居ない。
しかし、その幽霊の正体が「吉久保さゆり」かもしれないという噂が伝わり始めると、学生達はリアリティを感じ、恐怖を覚え始めたのだ。
これが見も知らぬ座敷わらしの様な存在なら、ここまでの騒動にはならなかったはず。
しかし残念なことに、「吉久保さゆり」は色んな意味で目立つ存在だった。
彼女は一学年上の才女で、大学部の中でもトップを争う美しさを誇っていた。
数多の男が口説き落とそうとチャレンジするも、にべもなく断られる。
そんな彼女には、一つの噂が付いて回っていた。
熱烈な片想いをしているという噂だ。
高嶺の花である「さゆり」が片想いをしているなど、そうそう信じられるはずもない。
相手は既婚者か、はたまたこの世から既に消え去った人間ではないのか?という憶測が飛び交った。
だが真実は解らぬまま彼女はいきなり退学し、その一週間後、独り暮らしをしていたマンションの屋上から飛び降り自殺をしてしまう。
ニュースとなったその現実を、学生達は大きなショックと共に受け取ったのだ。
「自殺なんかしたら浮かばれないんだじょ?」
「ええ、だからこの世に留まっているんでしょうな。」
「そ、それだけじゃないやい!なかなかあの世に行けないんだかんな!」
「おや、詳しいですね。」
「ふん!あたいだって色々調べてんだ。」
「そのくらい学問にも情熱を捧げてくださいよ。」
「う、うっさい!」
薄暗くなった学舎内に残っているのは数名の教授だけ。
廊下は人気がなく、ひんやりとした様相だ。
「昼間は比較的明るいですのに・・夕方になるとこんなにも寂しく感じるんですのね。」
「窓がでかい分、自然光を取り入れる形になってるからな。照明が消えたらこんなもんだぜ。」
野梨子は緊張と共に喉を鳴らし、三人の後に続いた。
「えーっと、西の階段から上って、三階の踊り場を過ぎる。んでもって、その先に渦中の資料室があるんだっけ?」
学舎内の地図を懐中電灯で照らしながら、魅録はどんどんと歩を進める。
広々とした階段は、気を抜けば滑ってしまうほど美しく磨かれていて、手すりに掴まりながら慎重に上っていくしかない。
悠理は、背中をゾクゾクと襲う悪寒に、目の前を歩く清四郎の腕を咄嗟に掴んだ。
「悠理、何か感じましたか?」
「う、うん・・・・寒気する・・・・・」
「怖いなら掴まっていなさい。」
「うん。」
後ろから心配そうに窺ってくる野梨子を思いやれず、悠理は必死で清四郎の腕にしがみついた。
薄暗い中、人肌だけが心を落ち着かせてくれる。
逞しい腕から発せられる高い温度に、悠理は少しだけ人心地ついた気がした。
「お、あれだな。文学部の資料室。」
魅録が懐中電灯で指し示した部屋は、何の変哲も無い木製の開き戸がある、所謂昔ながらの資料室だった。
「ここを利用している奴は古くさい教授だけなんだろ?東側には新しい資料室が出来たみたいだしよ。」
「そのようですね。過去の文献なんかもあちらに移動したようですし、ここも閉鎖するべきなんでしょうけど、あまりにも資料が多くてそのままになっているらしいんです。」
「と、とにかく、どこかに照明はありませんの?暗くて足元が不確かですわ。」
野梨子が唇を震わせて要求する。
さっきから悠理の恐怖が自分にも伝染してきているのだろうか。
何故か不安で仕方なかった。
「今、スイッチを探すさ。ちょっと待てよ・・・」
魅録が何の躊躇いも無く、資料室へと近付く。
歯の根が噛み合わなかった悠理は、そこでようやく悲鳴をあげた。
「魅録!近付くな!!」
「あ?」
振り返った魅録の懐中電灯を向けられ、三人は眩しさに目を細める。
しかしその直後、目の当たりにした現実は細めていたはずの目を大きく見開かせた。
「魅録!!!」
資料室の扉から生え出したような女性の影。
上半身だけがすり抜けていて、その細い身体は妙に長く感じた。
伸ばされた華奢な腕が魅録の首へと絡みつく。
長い前髪から覗く瞳は、狂気を孕んだようにこちらを睨み付けていた。
ダメだ!!!
怖いと感じるよりも先に、悠理は手を伸ばし近付く。
魅録の手から落ちた懐中電灯は、廊下をコロコロと転がっていった。
「悠理!行くな!」
清四郎の声を振り切り、魅録の側に駆け寄った悠理はその腕を掴み引き寄せた。
「くそ女!離せ!!!」
首を絞められたままの魅録を、悠理が罵倒と共に助け出そうとする。
だが、清四郎にははっきりとした状況は掴めていない。
女の身体はうっすらと見えるが、それが魅録を苦しめているかどうかまでは判らなかった。
比較的霊感の強い野梨子は全てが見えていた。
魅録の首に白く細い手がぐにゃりと絡みついている状態を・・・。
あまりの恐怖に野梨子は叫び声をあげる。
「清四郎!魅録の首が絞められていますわ!!」
「なに?」
たとえ指で指し示されても、見えないものは見えない。
清四郎は二人の側に駆け寄ると、悠理に問いかけた。
「どうしたらいいんだ!?」
「んなもん知るか!!このままじゃ魅録が絞め殺されちゃうぞ!!」
血の気を無くしつつある親友の命を、悠理は必死で呼び止める。
「魅録!!しっかりしろ!」
「ぐっ・・・・」
呻く声にすら力がこもっていない。
おろおろと見守るだけの野梨子は、ふとスカートのポケットに忍ばせておいた「神社の塩」を思い出す。
これは美童から託された一つのアイテムだった。
果たして効果があるのか・・・・。
どうみても悪霊と化している「彼女」にこんな塩如きが効くのだろうか?
しかし野梨子は覚悟を決め取り出すと、それを思い切り魅録に向けて振り蒔いた。
瞬間、キラキラと塩の粒が光ったように辺りを照らす。
苦しんでいた魅録はガクリと崩れ落ち、それに付き合って悠理もへたり込んだ。
「野梨子・・・今のは?」
眉を顰め振り向いた清四郎は問いかける。
「清め塩・・・ですわ。」
「なるほど・・・」
悠理はゼーゼーと息を切らし、「助かった・・・」と呻いた。
苦しそうに咳き込んでいた魅録がようやく持ち直した頃、4人は自分たちだけでは手に負えない状況だと知る。
「祈祷師が必要なのでは?」
「最初からそうすりゃ良かっただろうが!!」
「一体、何故彼女がこんな悪霊になってしまったのか詳しく調べませんと・・・。」
「ああ・・・そうだな。このままじゃ俺みたいな被害者が増えそうだ・・・。」
清四郎は一階下にある教授の部屋に無断で入ると、適当な大きさの紙に「壊れ物有り。近付くべからず」と太く書き記し、それを先ほどの資料室へ貼り付けた。
「とにかく一旦撤収です。魅録、念のため僕の家で首を見せて下さい。」
「ああ、解った。」
「あ、あたいもついてく!!」
こんな目に遭ったのだ。
一人で過ごす夜は怖くて仕方なかった。
悠理は魅録のジャンパーを掴み、ぶるりと震えた。
出来ればここに二度と来たくない。
なんて事、どうせ言っても無駄なんだろうけど・・・・・。