悠理から香る甘い匂い………
その香りに敏感な鼻が反応したとき、僕は彼女を意識していると気付いた。
今まで感じたことのない………女性らしい香り。
香水とは違う。
かといってフェロモンの類でもない。
それは甘く、不思議と惹きつけられる匂いだった。
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「悠理。」
「ん?」
細い首を回し、こちらを振り返る。
態度も背丈も、ふつうの女性より大きな彼女だけれど、こうしてソファに座っておやつを漁っているときは、まだまだ子供のように見えてしまう。
知能の低さと精神的な幼さ。
長い付き合いから、本当に幼いわけではないと知る僕は、悠理の成長をこの手で確かめたかった。
もちろん’女’としての成長を。
「最近………良い香りがしますね。ボディソープでも変えましたか?」
「え!?か、香り?」
食べる手を止め、あからさまに驚くところを見ると、どうやら気付いて欲しかったようだ。
戸惑いに揺れる瞳とはにかむ口元。
違和感すら感じる、悠理の変化。
「………以前は柑橘系だったでしょう?今は…………そうだな。ローズゼラニウム?」
薔薇のようで薔薇ではない、天然の香り。
ミントのような爽やかさと上品な甘さが人気の香料だ。
花言葉には、確か・・・・「恋煩い」。
「ローズ、ゼラニウム?………よくわかんない。でも、兄ちゃんのヨーロッパ土産だから、使ってるだけ。」
「良く似合ってますよ。」
背後からそっと彼女の首元に顔を近づけ、わかりやすく息を吸い込めば、悠理の耳が真っ赤に染まった。
────ふむ。なかなか悪くない反応だ。
「な、なんだよ。いきなり………」
「人には合う香りとそうでないものがありますからね。体臭にマッチした香りを使うのは大切です。」
「それって………あたいにはこれが合ってるってこと?」
「ええ。特にローズゼラニウムはホルモンのバランスを整える効果があります。生理前のイライラを緩和出来ますよ。」
「………男のくせに“生理”とか言うな。バカ。」
いっそう赤くなった耳に、思わずかじり付きたくなる。
悠理が“女”を意識し始めていることは、今の僕にとって見逃せない変化だ。
「悠理…………」
「な、なに?なんか今日のおまえ………変だよ!」
焦りながら身を縮める彼女の髪に、優しく触れる。
繊細な髪質を確かめるよう何度も指で梳いていると、猫のようにリラックスするのは心の奥底で僕を信頼しているから。
そうだ。
口では悪態を吐くけれど、彼女は基本、僕を頼っている。
そして誰よりも信頼している。
僕が決して裏切らないと───思い込むように信じている。
「清四郎…………」
「───ん?」
「こんなこと………野梨子にもすんのか?」
「………しませんよ。」
おまえだけ。
おまえだけに、理性を裏切るこの指が動くんだ。
「僕は………………ペットを大事にする男ですから。」
「ペットって………何だよ。あたいは犬や猫じゃないぞ?」
「僕にとっておまえは可愛いペットです。多少金はかかりますがね。」
悔しそうに睨むその瞳は、もうすっかり“女の目”。
「ペットなんかじゃ───ヤダ!」
「そう?………なら何がいい?」
羞恥に潤む美しい瞳。
そこに嬉しそうな顔の男が一人、映っている。
「…………悠理。僕の“何”になりたい?」
唇を噛む彼女は、さぞ口惜しいことだろう。
これは最初で最後の二人の駆け引き。
おまえの口から正しい答えが聞けたなら、この先、僕はきっと優しい男になる。
誰よりも理想的な甘い恋人にだってなってやる。
だから悠理。
早く答えを聞かせてくれ。
この手が、無理矢理答えを引き出す前に………
この腕が、無理矢理抱きしめる前に───