Love Birds

 

「清四郎!あんたねぇ、プールに来るって解ってて、キスマークつけまくるの止めなさいよ!耐水用のファンデで隠すのも限度があるんだからね!」

そこは昨年出来たばかりのアミューズメント施設。
特に猛暑である今年の夏は多くの家族連れやカップルで芋洗いが如く賑わっていた。
長く曲がりくねったウォータースライダーは国内最大級との謳い文句で長蛇の列を成している。
悠理はいの一番に駆けていったが、順番が巡ってくるまであと三十分はかかるだろう。
それでも子供のようにキラキラ目を輝かせ、おとなしく列に並んでいた。

美童が有閑マダムから譲り受けたチケットでやってきた六人。
それぞれの過ごし方を時間いっぱい楽しむ。
もちろん、美童はガールハント。

魅録は波の激しい場所でサーフィンもどきにチャレンジしている。
運痴な野梨子は穏やかな波のプールで漂い、最新の水着に身を包んだ可憐は、御自慢のボディに悩殺される男共を鼻であしらいながらも、友人の体に刻まれた痕跡に意識を傾けていた。
それらの元凶はもちろん、プールサイドで涼しげな顔をしながらジュースを啜る男。
悠理の初めてかつ最後の恋人、菊正宗清四郎である。

隠しきれないほどのキスマークを付けた男へ、一言もの申すつもりでやってきたのだが───

「正直、こんな雑多な場所、来たくなかったんですけどね。悠理にどうしてもと強請られ、足を運んだわけです。休日の混んだ、それも欲望剥き出しにした男達の視線に晒される危険までおかして───」

『あんたが一番あぶないわよ』
………という台詞を可憐は何とか飲み込んだ。

「その可愛い恋人が一人っきりでスライダーに並ぶのは良いってわけ?」

指し示された方向を見て、清四郎は皮肉に笑う。

「………ふっ。可憐は分かっていませんね。一番危険な場所はあの上ではありません。」

「どういうこと?」

清四郎がチラリ視線を流した先。
そこは、滑り落ちてきたレディ達のほとんどが慌てた様子で水着を整える、滝壺のような場所。
ずり上がるだけでなく、たまにビキニの上が流されるというハプニング(ラッキー)もあるのだから、男たちはこぞってその場所を囲む。

「あ、あんたって…………やっぱりムッツリなのね。」

「失敬ですな。………胸の乏しい悠理は、水圧で水着を無くしてしまう可能性が他の人より高いでしょう?それらを予測しながら、僕はこのプールサイドでしっかりと身構えているだけですよ。」

決して親切心だけではない。
それはむしろ邪心と言っても過言ではなかった。
可憐はその全てを感じ取り、うんざりとした顔を歪めた。

「………だいたい清四郎ってそんなキャラだった?」

「キャラ?」

「悠理にベタ惚れなのは仕方ないとしても、独占欲強くて、ワガママで、変態で───ちょっと………いや、かなり怖い男よ?」

「…………そう言う可憐も相当なものだと思いますが?」

「あ、あたしは女だから良いのよ!あんた男のくせにそれだと、いつか悠理に見放されるからね!!」

単なるイヤミなどではない。
もちろん、心からの言葉だった。

清四郎の目を少しでも醒まさせるための、所謂友情の押しつけ。
可憐とて、二人が別れるなんてことになれば流石に悲しいし、正直なところ困る。
束縛を嫌う悠理の性格上、清四郎がこのまま暴走し続ければ、結果は目に見えているだろう。

悠理の暴発だ。

以前の婚約話のような結果には終わってほしくない。

清四郎はフムと顎を撫でながら、暫く考え込んでいたが、やがてゆっくり頭を上げ、悠理が並ぶ方向へ視線を遣ると、「ありえませんね」とはっきり首を振った。

「は?」

「ありえません───悠理から別れを切り出されるなんてこと、有り得ませんよ。」

「え、でも、そんなはっきり言い切れ………」

“無い”と断言できるはずなのに、可憐は何故か躊躇う。
清四郎の男前な表情に、なみなみならぬ自信が漲っていたからだ。

「どうしてそう思うの?」

恐る恐る尋ねれば、

「悠理は処女だったんですよ?」

と、明後日な答えが返ってくる。

「………………は?」

可憐は、こんな場所で何を言い出すんだ!と目を剥きたかった。が、先が気になる為、最小限の声に留めた。
もちろん彼女の拳は、清四郎の利発な頭を即座なぶん殴りたかったに違いない。

「あいつは僕しか男を知りません。」

「え、えぇ。」

「これからも僕でしか満足出来ないよう、仕上げていくつもりですし、僕以外の男にかまけるような余裕を与えるつもりもありません。当然、別れる気など毛ほども起きないようにしてやりますよ。大丈夫。悠理のことは僕が一番よく知っていますから。」

「………………。」

頭痛を通り越して目眩がする。
これは本当に“あの”清四郎の言葉なのだろうか。

理想と妄想がこんがらがったような答えに、可憐の美しい眉が険しく吊り上がった。

「あ、あんたねぇ………」

「ほら。今も、僕達が話している姿を遠目に見て、嫉妬しています。結局は悠理だってベタ惚れなんですよ、この僕に。」

ニマニマと、だらしなく喜ぶ横っ面をはり倒したくなった可憐だが、場所も人目も気になる為、拳に爪を食い込ませるに留めた。
渾身の我慢である。

「あ、そう…………」

恋愛よりも株価指数。
夢見る暇もないリアリスト。
彼のライフスタイルを根底から覆してしまったのは─────ただ一つの恋。

───これだから初心者はめんどくさいのよね。

本音を封じ、ため息を吐く可憐。
何を言ったところで、初めての恋に溺れきっている男の耳には届かないだろう。

それに…………
彼の言うとおり、悠理は清四郎にベタ惚れなのだ。
そうでないと、あんなにも目立つ痕跡を許すはずもない。

「そろそろあいつの順番ですね。行きます。」

「……………。」

にっこりと微笑むその笑顔の裏に、一体どれほどの下心が潜んでいるのだろう。
可憐は、いそいそとプールへ入ろうとする清四郎の逞しい背中を、本気で蹴り飛ばしたくなった。

だがよくよく見れば、彼の背中にも多くの爪痕が残っていて、それはもちろん恋人の仕業であると判る。
誰に対する牽制かは知らないが、結局は似た者同士の二人なのだ。

「あーー、あほらし!これからはあいつら抜きで遊ぼうっと!」

可憐はわざとらしく叫んだが、果たして聞こえたかどうか………

 

その後、清四郎の読み通り、悠理のまな板のような胸から華やかな色のビキニは外れてしまい────
彼は0.05秒で拾い上げた布を何故か嬉しそうに、そして手際よく水の中で装着させた。

「あ、あんがと。」

「どういたしまして。」

スレンダー美人の露わな格好を期待し、胸(&股間)を膨らませていた疚しい観客どもは揃ってため息を吐く。

残念だが、この男に抜かりなどあるはずがない。
恋人のビキニ姿をしっかり拝みつつ、無邪気な彼女の楽しみをも奪わない完璧な男。
肌に刻まれた多くのキスマークが、これまた嫌みなほど男達を牽制する。

 

「せーしろ、次は一緒にすべろーよ!」

「はいはい。」

背中に回していた腕がそっと腰へ落ち、清四郎は悠理の身体をわざとらしいほど強く抱き寄せた。

「な、なに?」

突然のことに驚く悠理。
だが直ぐ様、二人の視線がねっとりと絡み合う。
ポゥっと頬を染めた悠理が、清四郎の意図をその目にはっきり読み取ると、

「こ、こんなとこで?」

と、戸惑いながら身体をくねらせた。

「ええ………」

静かに閉じられる瞼。
水の中でさらりと交わすキスは、周囲の観客を苛立たせ、落ち込ませる。

そんな光景をチラ見した可憐は盛大に溜息を吐き、頭をもみ込んだ。

あれは彼女がよく知る清四郎ではない。
そして悠理もまた、昔の幼くも乱暴な少女ではないのだ。

きっと二人はよりいっそう、はた迷惑なカップルに成長するだろう。
そしてそんな彼らに振り回される自分たちの未来が、容易に見て取れる。
多少の妬ましさはあれど、外気温より熱いバカップルに幸あれと願う心は本物。

「…………ま、あいつらが幸せなら、それでいいけどね。」

そう無理矢理納得し、背を向けた可憐が、再び彼らを振り向くことはなかった。