小さな世界の少女(清四郎と野梨子)

※関連作品:永遠に繋がる出会い(魅録と悠理)


夕暮れ時。
まるで人形のように整った二人の男女は、帰宅時の街中を足並み揃え歩いていた。
男は、細く華奢な少女を庇うように道路側を行く。
それは昔からの立ち位置で───
少女も何ら疑問視することはなかった。

「良い本が見つかりましたわ。出向いた甲斐があったというもの。」

にっこりほころぶ花の顔容(かんばせ)。
白鹿野梨子は片手に持つ紙袋を嬉しそうに見つめる。

「新しい本屋だけど、悪くない品揃えだったね。」

彼、菊正宗清四郎もまた、マニアックな専門書を数冊買い込み、すこぶるご機嫌だ。

他人からすれば、二人は兄妹のように見えるのかもしれない。
纏う空気やゆったりとした物腰。
佇まいの美しさに加え、身に着けている衣類もまた上品で清潔。
共通項の多い彼らは、幼き頃から常に行動を共にし、周りからの賞賛を当然のように浴びてきた。
神童と呼ばれる清四郎にお似合いの完璧な美少女。
隣家ということもあり、両親の仲も良く、事あるごとに家族ぐるみの付き合いをしていた。
当然兄妹のように育つ。

清四郎はそんな大和撫子を、’守るべき存在’と認識し、あの一件以来心身共に鍛えてきたが、本質では彼女の方が強いということも分かっている。
非力ながらも、芯の通った性格は見ていて清々しい。
知能の高さも含め、阿吽の呼吸で会話を楽しめる希有な存在。
清四郎は美しい幼なじみを誇りに思っていた。

「そう言えば、清四郎。貴方最近、怪しいサークルに顔を出しているんですって?」

「怪しいとは失敬な。どうせESP研究会のことを言っているんでしょうが。」

「ふふ。わたくしに隠している辺り、100%怪しいですわ。」

茶化すように言い切った野梨子は、清四郎の反論を防ぐべく、次の話題へと移った。

「うちの学園も幽霊部員しか居ない部活動が多すぎますわね。確か………ポエムクラブ、人形制作同好会………そうそう、幸せの青い鳥を探す会………なんてのもあったかしら。」

「平和じゃないか。むしろ我が学園らしい。」

「そうかしら?…………詰まらない。」

学園内に友人らしき人物は一人も居ない野梨子。
清四郎は生徒会に所属している為それなりの付き合いはあるが、彼女の場合、明らかに一人孤立していた。
放課後、語り合う相手も居ない。
クラスメイト達はプライドの高いお嬢様を遠巻きに眺めているだけだった。

「暇を持て余しているなら、自分でクラブを立ち上げるのもいいと思うがね。囲碁や読書クラブなんて悪く…………」

「誰も暇だとは申してませんわ!」

図星だったのだろう。
鋭い反論に清四郎は口を噤む。
見た目よりも頑なな性格の彼女を不愉快にさせるのは得策ではない。
怒らせたら最後、長引くことは目に見えていた。

「コホン───さて、お茶でも?それとも真っ直ぐ帰りますか?」

「…………ごめんなさい。清四郎は心配してくれているのに。」

「構いませんよ。」

野梨子にとって唯一甘えられる存在、それが清四郎だった。
誰よりも彼女を理解し、思考を読むスピードも速く、ストレスを感じない相手。
こんな出来の良い幼馴染みがいたら、確かに友人を必要としないのかもしれない。
しかし、それこそが野梨子の弱点でもあったのだ。

「そうそう。インテリアの素晴らしいカフェがこの近くに出来たんですって。」

「あぁ、少し通りから外れた?モンブランが人気の店らしいですね。」

「まぁ、知っていましたの?」

「同じような雑誌に目を通していれば、自然とそうなりますよ。」

ウインクする幼馴染みは、ほんのり色気を伴う。
中等部へ進んだ頃から、清四郎はグンと身長が伸び、肩幅も広くなった。
女の子達の色めき立った声が、否応なしに聞こえてくる。
もちろん自分へのやっかみも含め───

邪推されることが多くなった所為か、野梨子の中に沸々とした感情が芽生えたのは確かだった。
それは決して優越感などではなく、もどかしさに似た何か。
清四郎の側に居る事を非難されているようで、腑に落ちない。

「わたくし、清四郎さえ居ればどんな場所でも楽しめますわ。」

唐突の切り出しにも彼は穏やかに応える。

「僕も楽しいですよ。でも…………」

「でも?」

「世界はもっと広い。楽しみは無限大だと思うんですよね。人も、生活も、文化も、思考も……。それに“人”を育てるのは“人”であると、僕は信じてるんです。」

遠くを見つめるその目に、野梨子は映っていない。
それが無性に寂しく、彼女は慌てて清四郎の腕を掴んだ。

「ん?」

「あまり…………遠くへ行かないで下さいな。」

「遠い、ですかねぇ?」

「遠い………ですわ。」

野梨子が心許ない声で呟いたその時───

「こらぁ!!待ちやがれ!!」

まったりとした空気を切り裂くような怒声が耳に飛び込んでくる。
と同時に、疾風の如く交差点を横切る見慣れた人影。

「…………剣菱さん?」

咄嗟に振り解かれた手が空を掴む。
清四郎の呼びかけに気づかない彼女が、猛スピードで追いかけている相手。
それはどう見ても不良と思しき連中で………皆が皆、だらしない着こなしで脱兎の如く逃げてゆく。

「悠理!深追いすんなよ!」

「やなこった!あいつ、あたいの脚、二回も蹴りやがったんだぞ!」

「おまえ、その十倍は返しただろうが!」

洒落た帽子を被った少年が剣菱悠理の後を追いかける。
その足もまた負けじと速く、二人はあっという間に喧噪の中へと消えてしまった。

「…………喧嘩、ですの?」

「………みたいだね。」

清四郎は彼らの消えた後を見つめている。
すっかり居なくなってしまったのに、まるで焦がれるような視線を注ぎ続ける。

「清四郎、そろそろ行きましょう?」

「あぁ。」

野梨子の胸の内は言葉に出来ない思いで埋め尽くされていた。
幼なじみの見慣れぬ表情。
ワクワクした子供のような口元は、彼女ですら見ることが少ない。

「……………面白い奴だ。」

こぼれた言葉に、野梨子は反応しなかった。
剣菱悠理に対する嫌悪感は昔からのもの。
今更消えるはずもない。
追い打ちをかけるような現実を振り返りたくなかった。

────でも、清四郎は?

学園で見かける傍若無人な彼女を、この上なく楽しそうに見つめる幼なじみ。

気付いていた。
ただ気付かぬ振りをしていただけ。
清四郎の興味が彼女に注がれていることなど、とうに知っていた。
彼女を嫌う野梨子の手前、声をかけたくても遠慮していることを知っていた。

───いや。あの子だけは…………いや!わたくしたちの間に入らないで欲しい。

野梨子は自身の心の狭さに辟易しながらも、譲れない存在を確かめるよう、清四郎の服を摘まんだ。

「野梨子?」

「…………遠くへ行かないで。」

懇願する言葉はあまりにも弱々しい。
曖昧に微笑むだけの清四郎の優しさは、時として残酷だ。
けれど、そんな微笑みにすら安堵感を得る野梨子。

二人だけでいい。
小さな世界もいつかは広がるかも知れないけれど。
今はまだ、この手を離すことは出来ない───

野梨子は臆病な自分を隠すよう、髪をなびかせた。